7.03.2022

[film] Baisers volés (1968)

6月25日、土曜日の夕方、『人情紙風船』のあと、角川シネマ有楽町のトリュフォー特集で見ました。トリュフォーについては、なんか教科書みたいな「名画」のかんじがあってずっと歳とってから見ればいいや、だったのだがまじでほんとうに歳とってしまったので後がない-見るしかない。

Antoine et Colette (1962)

Antoine Doinel (Jean-Pierre Léaud)もの - 「サーガ」なんて大層なものではなく「もの」くらいの括り - の2つめ、約30分の短編。撮影はRaoul Coutard、音楽はGeorges Delerue。

17歳の彼の住んでいるクリシー広場の上にあるアパートの窓を開け放つところがすごく好きで、ああいうところに住んでみたいな、のいつも上位にくる。

フィリップスのレコード工場/売場に勤めるAntoineは当然レコード聴き放題で音楽も好きなのでコンサート会場にも入り浸ってベルリオーズなんかを聴いているのだが、そこでいつも顔を合わせるColette (Marie-France Pisier)と仲良くなりたくて声をかけて彼女の家を訪れるところまでいって、彼女の両親にも気に入られて住処も近所にしたりするのだがだんだん連絡が取れなくなっていって気がつけば知らない男が彼女の傍に。

それだけの、初恋にありがちないくらでも転がっていそうな話ではあるのだが、音楽の好みが同じでも両親に好かれても彼女に好かれなくなることはあって、そういうのはいくら言ってみてもがんばっても自分の力でどうすることも/どうなるもんでもない、恋愛というのはそういうやつなのねColette、そうよAntoineあんた知らなかったの? って基本の基本を教えてくれるやつだった。


Baisers volés (1968)


英語題は”Stolen Kisses” 、邦題は『夜霧の恋人たち』 - よくわかんないねえ。 68年のルイ・デリュック賞を受賞している Antoine Doinelものの3つめで、↑の切なくつんのめったモノトーン、音楽は荘厳そうなクラシックから一転して明るめのカラーの、最初と最後に流れるシャルル・トレネのシャンソン - “Que reste-t-il de nos amours?” - 『残されし恋には』のドリーミィで軽快なトーンでフルーツサンドされている。歌詞だけみるとちっとも明るい曲ではないのだが。

20代前半のAntoineはバルザックの『谷間の百合』を読んだりしてて(原作のクレジットでもある)、兵役の後にいろんな仕事についてもなかなか続かなくて、Christine (Claude Jade)との恋を続けながら夜警をしたり探偵社に就職したり見よう見まねで人とか事件を追っかけることになるのだが、靴屋の店員をやってているときにそこの社長Georges Tabard (Michel Lonsdale) の妻 - Fabienne (Delphine Seyrig)に追っかけられることになり、自分でなにをどうしたいのか、どっちをどうすべきなのか、色欲と煩悩にまみれながらなんとかChristineとの恋を、ってがんばってどうにか婚約するくらいまでは。

↑でColetteひとりに入れこんで酷い目にあったからか、なんでもかんでも手を出して握手するようにして、自分が本当にやりたい仕事はなんなのか、よくわからないまま洗濯槽に巻き込まれるようにいろんな仕事にぐるぐるに翻弄され、その延長で恋についても巻き込まれて目を回してあたふたしながらわけがわからなくなっていくスクリューボール・コメディで、なにかしら陰謀のような網目のなかでなにかが試されようとしているのだと思うがそのなにかって自分なのか恋なのか。 どっちにしてもなるようにしかならないそれを目前にしてパペットのように右往左往するばかり。

↑で明らかになったようにAntoineって古典的なロマンチストで恋ってこうあるべしの思い込みで走ってしまう人なので、初恋に敗れた後のものすごく暗いどろどろしたトーンのドラマにすることもできたはずなのを敢えてとっ散らかったずっこけものに料理していて、これはうまくいっているような気がした。誰もが - 探偵社に勤めたことなくても恋の探偵のような動きをしてしまう- 自分をAntoineだと思う/思えるように見せている。

主人公 - 自分はなにの、どこの主人公なのか、「盗まれたキス」 - 盗むのは彼女? - に対して、自分だけではないChristineを追っかけていた誰か(最後に現れる)に対して、主人公はどう振る舞って最後にはどうあろうとすべきなのか。をずっと読んだり悩んだりしているようで、でももちろん、この頃のJean-Pierre LéaudにもFrançois Truffautにもその答えは(おそらくまじで)見つかっていない。

それにしても、Delphine Seyrigはここから7年で”Jeanne Dielman”へと変貌してしまう。すごいわ。

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