3.26.2019

[log] Bollocks to Brexit

23日、土曜日の午後、Brexitなんかやめちまえ、のデモに参加した。 天気もよくて、気持ちよかった。
日本人なのに、参政権も投票権もないのになんで英国の政策のデモに行ったのか、について少しだけ書いておきたい。

確かに参政権もないし投票権もない数年間の滞在ではあるが、ここ数年、英国に税金は払っている。だから英国政府やその機関から受けられるサービスについて文句を言ってよいしと思うし、そのサービスが大きく変わったり劣化したりする可能性がある場合は、声を出して抗議したって構わないはず。

特にこんなふうなでっかい台風とか洪水みたいのが来て自分の住む世界の境界が揺らぐときに「自分は日本人だから」なんて澄ましてみたところで誰も聞く耳もたない。自分で正しいと思う方向に動いたり逃げたりして「おーい」って叫ぶべきよね。

ていうのもあるし、やっぱりAmerica First (Great Again)もUK Firstも都民ファーストも、やっぱしだめだったじゃん、ていうのは強く思う。 これが浮かんできた2016年当時はそういう気分だったり雰囲気だったのかもだけど、気候変動がこれだけやばくなり、景気が上向いてきたわけでもなく、これをやることで景気が上向いてくれる気配もなく(逆っぽい)、難民や格差の問題も顕在化して深刻になり、「自分の国がいちばん」は彼らを受容するどころかはっきりと排斥したり隔離したりする方向に機能しがちであることが見えてしまった今、これを無理やり実行してなにかを取り戻したり美しくなったりすることができるか、というとぜんぜんそういうのではないんじゃないか。 むしろどっかの東方の島国みたいに自分たちをすごく見せたいがために嘘ついたりごまかしたり隠蔽したり、更にそのために強要したり恫喝したり、そっちの弊害の方を予測できる(あそこまでひどいのはないと思うけどね)。  今必要なのは壁を作ることではなくて橋を築いて手を差し伸べることでしょ、「先進国」がそれをやらなくてどうするのよ、というのを道端の実感としてすとんとぶちまけたのがあのデモだった、と思うのね。

首相のリーダーシップがどうの、ということよりも、どれだけ議論して案をひねり出してもEU側もUK側も両方が幸せになれそうな絵姿やシナリオをひねり出すことができなかった、それなら無理に動くことはないだろ、って。 いま無理してブリブリ言う方がよっぽど醜悪で後々うんざりげんなりをもたらすことになるに決まってる。 し、もう十分うんざりなんだ。アメリカの今にもにっぽんの今にも。 今ならまだ止めて、引き返せるかもしれない、ここの国はどっかみたいに卑怯な強行採決なんてすることはないし。

ということを思って、空から見れば黒ゴマの一粒に違いないのだが、それでもその面積を物理的に示すことができる(ゼロではない)機会であることは確かなので参加した。 怒りをぶちまけてわーわー当たり散らす型のデモではなくて、大人も子供も犬たちもみんな笑って騒いでどかどか行進していて楽しい。 みんな思い思いの衣装でシールべたべた貼って手作りの看板掲げて、ラジオかなんかではSteve Cooganさんが楽しく煽っていて、これに参加した子供たちにはきっとよい思い出になるだろうな。

とにかくものすごいひとの波で、終点はどの辺にあるのかを見たくて少し遡ってみたのだが、いくら行っても辿りつかなかった。
ので途中から抜けて、Royal Academy of ArtsのBill Viola / Michelangeloの展示を見て、生と死と再生について考える。これらはぜんぶ繋がっているんだよ。

そして、Scottも …

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