3.11.2019

[film] Meet John Doe (1941)

4日、月曜日の晩にBFIのBarbara Stanwyck特集で見ました。 邦題は『群衆』。
主演女優に最初はAnn Sheridanか、Olivia de Havillandを考えていたがどちらも都合がつかずに結局Barbara Stanwyckになったんだって。 へえ。

リストラが進む新聞社で肩を叩かれてしまったAnn Mitchell (Barbara Stanwyck)がやけくその最後っ屁で放った フェイクの読者投稿 - 失業者のJohn Doeが社会に対する怒りと呪いをぶちまけてクリスマスイブに身を投げて自殺してやるんだ - がセンセーションを巻き起こしたので、これいけるかも、と思った社は浮浪者たちを集めてJohn Doeのオーディションをやって、その中から野球選手だったというJohn Willoughby (Gary Cooper)を起用して軟禁しつつアイコンに仕立てて、彼のぐっとくる写真にAnnが捏造した彼の発言つきの記事(当然フェイクね)を書かせるとこれも当たって「いいね」がいっぱいついて、我こそがJohn Doeである、という人々が「John Doeの会」を作って社会現象にまでなっていく。

自分のものではない言葉 - でも内容はそれなりに共感できる - が一人歩きして有名人に祭りあげられて戻れなくなっていくJohnと、同様に周囲からいいぞもっと書け売れるぞ、って褒められ煽られて他人の言葉を捏造し、セレブになりあがっていくAnnと、同じ言葉と双方向の後ろめたさを共有しているふたりは恋に落ちていって、他方でこの盛りあがりを利用しない手はない、と出版社のD.B.Norton (Edward Arnold)は彼を担いで自身の政党立ち上げと大統領選への布石とすべく、スタジアムでのJohn Doe集会をぶちあげて、AnnにJohnのスピーチ原稿を書かせる。

直前にその企てを知ったJohnは全てを白状する決意でスタジアムに向かうのだが、企画した側もこれを察知して先回りして「John Doeはぜんぶフェイクでしたひどいね」の号外を出し、スタジアムがブーイングの嵐で騒然となるなか、Johnのマイクは線を切られ、彼は逃げるように放り出されて闇のなかに消える。 この雨のなかのスタジアムのシーン、カットも含めてすごい臨場感と緊迫感ですごい。

で、果たしてJohnは最初の投書の通りにクリスマスイブにビルの屋上から身を投げてしまうのか。
ラストをどうするのかは決めずに撮影に入り、撮影の際にも、華氏20度(氷点下6度くらいよ)以下の状態で5つの異なるバージョンを撮ってBarbara Stanwyckを病院送りにしたというそのシーンは、これしかないよね、て思った(けど他のバージョンも見てみたい)。

AnnとJohnのラブストーリーとして見てもよいけど、それ以上にいろーんなことを考えさせられるやつだった。 ぜんぜん古くない、いまのドラマとして。 メディアと政治家が”John Doe”の名のもとに、匿名として現れる緩い社会意識の隙につけこんで彼らを扇動し、ファシズム(と明言されないけどそうよね)に練りあげていく手口 - 売らんがための捏造、弱いところに付け入って持ちあげ、反対側でスター(スポーツ選手だし)を起用して夢を煽って - が整然と描かれている。(時代ゆえかもしれないけど、人種差別や性差別はここには出てこない。あくまで白人男性にとってのユートピア)

これを見ると今のSNS - Twitterが体制派 - 国体を維持しようとする連中のフェイク・捏造のための装置としていかに適していて、実際に運営側も含めてそういう振る舞いをしていることとか、なんか納得できるし、炎上という名の粛清とか、あーあー、って思った。 あれ、ロクなもんじゃないよね。

これとか、8日に見た”The Miracle Woman” (1931)を踏まえて、名作といわれる“It's a Wonderful Life” (1946)に出てくる宇宙だの天使だのを振り返ってみると、めちゃくちゃシニカルで暗い(よい意味でよ)作家だったのではないかしら。

例えば、Frank CapraならBowieの”Ziggy Stardust”の世界を映画にできたかも、とか。

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