3.05.2013

[film] The Misfits (1961)

土曜日の晩、"Madame De..." - 『たそがれの女心』に続いて、8:30からBFIで見ました。
USのでけでけパンクバンドのはなし、ではなくて、John Hustonの『荒馬と女』 です。

124分、こんどこそ、ぜったいねる。 と思ったが、しぶとかった。
BFIの一番でっかいスクリーンのとこがほぼいっぱいになっていた。若者も結構いる。いいなー。

水曜日に見た" Suddenly, Last Summer"とおなじMontgomery Clift特集の中の1本だが、自分としては米国の劇作家シリーズ。 Tennessee Williamsにつづいて、Arthur Miller。映画用の脚本も彼で、すんばらしい音楽はAlex North。
この特集だとあと1本、John Hustonの"Freud" (1962)も見たかったのだがー。

話題としてはこの映画のラストで肩を抱きあって夜空の星を眺めていただClark GableとMarilyn Monroeがこの映画を最後にほんとにふたりとも星になられてしまった、というあたり。

タイトルデザイン - 黒白ゴシック太字のフォントと噛みあわないジグソーパズル片 - がすばらし。 Saul Bassかなあと思ったらGeorge Nelsonだった。ふうんー。

離婚したばかりでぐったり傷ついたMarilynが土地(Nevada州のReno)の時代遅れみたいな男達 - Eli Wallach、Clark Gable、Montgomery Clift達と出会って、びくびくしながらも彼らの粗野な魅力とか体臭とかにゆっくりと惹かれて溶かされていく、それだけのお話し。 ただ、必ずしも西部男ばんざい、みたいな内容にはなっていなくて、彼らは彼らで何かから取り残された感覚のまま - Misfitst: 不適応者 - としてあることを十分に自覚していて、それをそのままに放置した苦いかんじは最後まで残る。 あそこにいる全員がそのまま幸せになれるとは思えない - でもいいの。

離婚という、当時の社会通念からするとちょっと外れたところに踏みだしてしまった女と、野にあるものは自分がモノにすれば自分のもの、という意識を疑うことなく生きてきた男はどうやったら一緒になれるのか、そもそも彼の方には「一緒になる」とか「わかりあう」という感覚そのものがないようにも見えて、そこにあるのは荒馬を地面に捻じ伏せる力のみで、それがなにか? で、女はぴーて泣くしかないのか。 という具合に「幸せ」を軽く突き放して砂に塗して、でもそこには善も悪もなくて、パズルのピースが転がっているだけ、という。 

ついさっき見た"Madame De..."の世界とあまりに違う(あたりめーだ)のでくらくらするのだが、男女がえんえん交わることのない輪舞のなかにある、というあたりは案外似ていて、イヤリングのかわりに差し出されるのが野性のお馬、なのかもしれない。

それにしても馬をつかまえるシーンはすごい。昔はみんなああやって捕まえていたんだろうなー。
(カメラはRussell Metty)

アメリカの取り残された人々をノスタルジックに、クラッシーに乾いたトーンで描く、というあたりはBruce Weberの写真の被写体のようにも見える。 しわしわでぜんぜんよいとは思えないClark Gableですら、既に壊滅的にぼろぼろだったというMarilyn(John Hustonの自伝「王になろうとした男」にその様子がある)だって、爽やかなかんじすらするの。

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