3.04.2013

[film] Madame De … (1953)

23日土曜日の夕方6:30、BFIで見ました。

少し前にも書きましたが、金曜の夕方から始まった某所でのお籠もりが当初予定の午前1時終了を超えて土曜の昼まで行って強制終了 ~ 翌日再開となったので、土日に予定していたあれこれぜんぶ組み直しになってしまった。
へろへろでホテルに戻ったのが12時丁度くらい、シャワー浴びてばったり倒れこんで落ちること約1時間強、2時くらいに杖をついて立ちあがり、Tate Modernに行ってRough Trade Eastに行って、PoppiesでFish & Chips食べて、BFIに着いたのは6時くらい。

もうこんなの、絶対ねる、ねたってしょうがない、だったのに落ちなかった。落ちないもんだねえ。

35mmでリストアされたやつがBFIで2週間くらい上映されてて、昔ぼけぼけので見ただけだった気がするので、見る。 Max Ophülsの『たそがれの女心』。

冒頭のクローゼットで衣装やアクセサリーをあれこれ探すところからもう宝石箱の中にいるみたい、前見た版の10倍くらい明るくて綺麗で、室内の照明とかレースのひだひだとかいちいちその微細な濃淡が美しく、ああこれだけで十分だいつ落ちてもいい、と思ったがずっとこの調子のうっとりが続くので、目を閉じることができなかった。

お金に困った御婦人(Danielle Darrieux)が結婚の記念に夫から貰ったイヤリングを売っちゃって、そのイヤリングが人から人にぐるーっと回っていくのとおなじように、婦人の周囲の人間模様も(なんとなく)逆回りで回転していくの。 誰がよいとかわるいとか、どこの誰のとこで落着するとか愛はどっちに転ぶのか、とかそういうことよりも、舞踏会のダンスとおなじようにいろんなのが物理の法則でくるくる回っていく、その動きの緩やかさ(決して速くないの)、楽しさ美しさを見ていればよい、そういう映画で、そういう愛の顛末を描く、というよりも、愛ていうのはイヤリングが人から人に渡っていくことで、映画のカメラはそれをひたすら追っかけるだけだから、と言っているようなかんじ。

伝説の剣が本来の持ち主の手に戻った時に光り輝いてすさまじい威力を発揮する、そういうどこかのくだんないゲームのように、Danielle Darrieuxのイヤリングには力があって、それがないときの彼女はごくふつーのおねえさん(じゅうぶんきれいだけど)になってしまうのがすごい。 そういう演技のそういう演出なのだろうけど。

IMDbにも書いてあるが、ダンスシークエンスの演出をしたのがJean-Pierre Melvilleってほんとなのかしら(噂、ってある)。 配布されたレジュメには書いてなかったけど。

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