3.13.2013

[film] Canal Zone (1977)

9日土曜日の昼間、アテネのワイズマン特集で見ました。『パナマ運河地帯』。

ワイズマンのドキュメンタリーがその題材をアメリカの外に求めたのはこれが最初だったという。
70年代、米軍が駐留して、パナマ運河を米国が国営会社のようなかたちで統括していた時代のパナマ(≒アメリカ)の記録。  174分、びっくりするくらいあっというま。

最初は運河をがりがりと通過していく船の運航を追っかけ、それに運河の運用(おもしろいねえ)を説明するガイドの声が被さる。
その後は、パナマに暮らすアメリカ人の生活風景あれこれを追う。 軍のイベント、馬乗り、教会での講話、無線交信、児童虐待、心理テスト、コミュニティでのファッションショー、ビンゴ場、卒業式、などなど、基本はアメリカの生活の縮図、ではあるのだが、異国、異文化、異言語での生活によるストレス、摩擦、ホームから離れている(遠い)感覚、が常にあって、それが出てくる人物ひとりひとりの顔や動作、しゃべり方などに現れていて、ナレーションもどんな人かの説明も全くないのに、彼らのどんよりした疲労・倦怠感や大変さは伝わってくる。

この描写 - パナマ内の米国社会のありよう - に挟み込まれるように描かれるのが現地の人々の暮らしで、市場用の牛や豚を追ったり、バスを待ったり、海で泳いだり、それはわれわれを含めた「先進国」の目から見るとエキゾチックで、割とゆったりとした楽しげなものに「見える」。

軍もパナマ運河も、当時のアメリカの国益の維持のために必要なもので、彼らアメリカンの住民はそのため(だけ)にここに住んでいる。 その意味ではその国に大志と理想を抱いて移住してきた移民とは国に対する距離感も生活に対する思いも感覚も違っていて、そのへんの特殊なかんじもなんとなく、わかる。

周りはみんなアメリカ人で、アメリカ人の家族がいて、英語で会話をして、アメリカの様式で暮らしている、けどそれはアメリカに暮らすのとはなにかが決定的に違う。 それは"国"ではなくて、"Zone"と呼ばれる。説明になってないけど。

パナマは90年代に2回くらいお仕事で行った。 
太平洋を見て、車でぶーんてジャングルの中を走ると大西洋に出てしまうのがおもしろかった。
ノリエガが暴れて壊した跡がまだ点々と残っていて、まだ米軍は駐屯していて、軍関係者の住む眺めのいいエリアに入るにはパスポートが必要だったりした。
いいところだなー、とか思ったものだが、暮らすとなると違うんだろうな。 民家の周りに群れていたのはカラスじゃなくてコンドルだったし。

今、「アメリカ」がいなくなった後、どうなっているんだろうなー。

どうでもよいけど、UNIVAC製のキーパンチの機械とか、NCRのコンソールとか、テープユニットとか、当時のコンピュータルームが一瞬でてくるの。 あれ知ってる! て一瞬ざわざわした。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。