12.30.2023

[film] Showing Up (2022)

12月23日、土曜日の午後、ヒューマントラストシネマ有楽町の『A24の知られざる映画たち』とかいう特集で見ました。「知られざる」って勝手に公開しないで見えないようにしていたのはお前らだろうが世界の秘境じゃねえんだよ! って怒る人たちはいないのか? みんな”First Cow”の牛さんみたいに従順よね。

Kelly Reichardtの最新作 .. を年内に見ることができたので今年はよい一年だった、と言ってよいのだ。というくらい好き。

原作はいつものようにJon RaymondとKelly Reichardtの共同で、撮影はこないだ見た”May December”と同じくChristopher Blauvelt。 今度のは現代の、彼女のお膝元ポートランドのOregon College of Art and Craftが舞台。(カーラジオからQuasiのライブ告知が聞こえてきたりする)

冒頭、音楽担当のEthan Roseの軽快な電子音のぴょこぴょこ(なんとなく『レネットとミラベル/四つの冒険』(1987) を思い出す。絵を売るエピソードとかもあったし)に乗って壁に貼られている女性を描いたドローイングが何枚か紹介されて、絵を描くひと? かしら? と思うと、それが作者である主人公Lizzy (Michelle Williams)のセラミック彫刻 - 実際に作っているのはCynthia Lahtiという方だそう - のための下絵で、どれも素敵なのだがアトリエを離れるとあまりよいことはないのだよ、って彼女のすっぴんのしかめっ面や浮かない表情が語っている。でも猫(かわいい)が傍にいる。

もうひとり、歩道の上、タイヤを転がしながら現れるJo (Hong Chau)は同じくアーティストで、庭の木にタイヤをぶら下げてブランコを作ろうとしているその背後にLizzyが現れて、お湯が出なくて困っているので早く給湯器を直してほしい、と限りなく文句に近い苦情を言う。 Joは売りに出ていた古い家を買って、その一部をLizzyに貸している。 JoはLizzyに向かって、自分も個展をふたつ控えていて忙しいけどがんばっとくー、と適当に返す。

やれやれーって仕事をしていると、夜中に猫がなんか音をたてていて、見るとハトを虐めているので引き離して、Gross… うううーごめん、とか目を合わせないようにしながらハトを外に放つ。すると翌朝、そのハトを拾ってきたJoがなんかひどいケガしててこのままにしとくとこのこ死んじゃうし、でもあたし忙しいから見ててくれる、って押し付けて消える。Lizzyは、はあ? ってなりながら獣医のところに連れて行くと治療費$150を請求され、包帯ぐるぐる巻きで箱に入れられてきょとんとしているハトの面倒を見なきゃならなくなる。

他にもアートスクールの事務をしている母(Maryann Plunkett)と別れてひとりで暮らす父(Judd Hirsch)は、ヒッピーみたいなアカの他人の流れもの連中を深く考えずに家に泊めているし、精神を病んでいるらしい兄(John Magaro - “First Cow”で掘られた穴からそのままやってきたような)は突然穴を掘り始めたりするし、でも準備を進めている個展には彼らにも来て見て貰いたいし。

窯焼きのEric (André 3000)と相談をしながら作品を焼いていってもなかなか思うようにはいかないし、その反対側で、Joによる紐が増植 - 大爆発している作品には悔しいけど圧倒されてしまう。給湯器問題は未解決のままだけど。

“Showing Up” - その後ろ頭・立ち姿が何度も映しだされるLizzyの、誰に頼んだわけでもないのに(頼んだことは実現されないのに)いくらでも湧いて出てくるあんなこととかこんなひと(ハト)の「現れ」、それら日々のあれこれにきりきりさせられていくのと、来るべき個展に向けて何もないどこかのなにかからアートらしき火花のようなものをShow Upさせなければいけないアーティストたちの活動を交錯させながら、これもまた”Certain Women”の軌跡をどこまでも伸びていく紐を追うように綴っていく。場面から場面への繋いでいるのかいないのか意識させないような連なりの不思議さ。とても変な気がするしなにかどこかが引っ掛かるのだがとりあえず右から左に流れていってしまうこれらの「現れ」とか「流れ」とか、なんなのだろう?    と思わせるところは小津(的)と言ってよいのかどうか。

最後、お湯の件も含めてぶちきれたLizzyがJoを追いつめて紐でぐるぐるの逆さ吊りにしてハトもついでに丸焼きにしてしまう - そんなテンションとはらはらを孕みつつ - この緊張感は”First Cow”にもあった- 最後までどうなるかわからずに画面に釘づけにされてしまう。そんなような自分のなかにあるのか外にいるのか、不機嫌や不安や混沌 - そんな単純なわけあるか - などをアートとして形にしていこうとするMichelle Williamsはそのあらゆる表情、俯き、嘆息、歩き方、動き、すべてがすばらしい。そんな彼女の反対側にあってどうでもいいけどさー、とアメリカ的としか言いようのない明るさを示すHong Chauもまた。

配信に来たらまた見てみよう。

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