12.15.2023

[film] 父ありき (1942)

12月9日の土曜日、ル・シネマ渋谷宮下の『いますぐ抱きしめたい』に続けて「小津安二郎:モダン・ストーリーズ selected by ル・シネマ」で見ました。この特集、東京国際映画祭での小津作品をぜんぜん追えなかったのでラッキー、と思ったのにあっという間に終わってしまった。平日昼間に暇な老人向けではなく、夜に生きる大人のためにこそ連日ずっと上映してほしいのに。だめ?

これまでも見たことある作品も含め、日本の家族や集団のエキゾチックでおかしかったり不気味だったりするところを個別に見ていく、というより「モダン・ストーリーズ」という軸を置いて繋いで見ることで改めて「怒りをこめて振りかえる」ことができるタイミングに来ているのではないか。小津の映画に出てきた女性たちの怒りや嘆きをオフィスや家庭で(もちろん映画を見ながら)そうしてきたように笑って流してしまうのではなく、今こそ、あれってどういうことだったのか、「モダン」という枠に落として見直してみる。検閲で削除されていた箇所を含めてデジタル修復された今こそ。

今年のヴェネチア国際映画祭でのプレミアも話題となった『父ありき 4Kデジタル修復版』。
英語題は”There Was A Father”。 上映前に国立映画アーカイブの大澤さんのトークがあった。

今年は1903年の12月12日に生まれて1963年の12月12日にちょうど60歳で亡くなった小津安二郎の没後60年で生誕120年で、いろいろ狙ったとしか思えない四角四面のかっこよさ。

トーキーへの移行も遅く(1936年)、作品への評価は高かったがヒット作がなかった彼の最初のヒット作 - 『戸田家の兄妹』(1941)に続く作品で、脚本は小津が1937年に戦争で召集される前に書かれて、帰国後に一部書き直されて太平洋戦争下で製作された唯一の作品で、戦時に公開されてヒットしたのだが、戦後に再公開されるにあたってGHQの検閲が入って戦争に関する箇所など約7分がカットされた。

ソ連の崩壊後、旧ソ連に保管されていた日本映画が発見されて、その中に検閲が入る前のバージョンがあって、これを今回松竹と国立映画アーカイブが共同のプロジェクトでデジタル修復した、と – いうようなことがトークでは語られた。

映画のタイトル表示は検閲前のに戻って『きりあ父』。小津よりひとつ年下の笠智衆の初主演作、演じた当時の年齢は37歳…?

筋はものすごくシンプルで、妻に先立たれてひとりで息子を育ててきた実直な教師の笠智衆が、修学旅行中の事故で教え子が溺死してしまった責任を取って教師を辞めて、息子を連れて長野の村役場で働いて大学までは行かせてやりたい、ってひとりでがんばり、息子(佐野周二)はそれに応えて勉強して大きくなって大学を出て教職について、父の元同僚の娘ふみ(水戸光子)を嫁に貰ってはどうか、っていう話も素直に受けいれ、かつての教え子たちとの同窓の会で飲んで歌ったりしてよかったなあ、ってしんみりした翌日に具合が悪くなり、そのままあっさり亡くなってしまうの。最後は息子とその嫁が手を取り合い列車に乗って自分たちの住処に帰る。

なんの破綻も混乱も、怒りも反抗も嘆きもない。お父さんはがんばるからな、っていうその一貫したがんばりに、息子はありがとうぼくもがんばるよ、ってそれに応えて努力してがんばって、彼の嫁すらもその流れに吸い寄せられるようにやってきて、父は亡くなっても父ありきじゃな、って。そんな父のありようを美化する、というよりも単に父とはそういうもの/それだけのもの、という場面を重ねることでAIに描かせたような、ホワイトホールのように空っぽな父親像を描出している。なにひとつ反抗したり文句言ったりできる余地がない。

そして小津映画の女性たちが怒ってなにかを放り投げたりするシーンについても、同様にその怒りはもっともすぎて異論を挟む余地がなくて、こんなふうに動かしようのない家具/インテリアとして頑と置かれた父親を中心とした家族像が受けいれられてヒットした、ってこれはこれでやばいのでは。GHQは映画まるごと発禁処分にすべきだったのでは、とか。

でもとにかく画面の構成とか奥行きとかエンディングとか、ああいつものだ、っていう安定感もすごくて。

来年のお正月に神保町シアターでやるやつは、行けないんだよう…

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