12.18.2023

[film] Maestro (2023)

12月10日、日曜日の午前、ヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。

邦題は『マエストロ: その音楽と愛と』。Netflixでも見れると思うのだが、Leonard Bernsteinの音楽が全編でばりばりに鳴り響く音楽映画であること、時代によって画面サイズが変わったりするので映画館 - 海外だとIMAXでやっていたし - で集中して見た方がよいかも、と思って。

監督は”A Star is Born” (2018)からの監督2作目 – これも音楽映画 - となるBradley Cooper。プロデューサーのリストにはMartin ScorseseとSteven Spielbergの名前がある。

冒頭はカラー画面、カメラが入ったリビングで独りピアノを弾く老齢のLeonard Bernstein (Bradley Cooper)が映しだされ、インタビューで亡くなった妻の不在を嘆いて想いを呟く姿があって、そこからモノクロ – コントラストの鮮やかな - スタンダードの画面になり、1943年、25才のとき、カーネギーホールで急遽Bruno Walterの代役として指揮者デビューを飾って喝采を浴びるLeonard Bernsteinの姿が描かれる。この頃の彼 – そのうちこの頃だけじゃないことが見えてくる - はエネルギッシュで全力疾走するきらきらで、男性のクラリネット奏者の恋人もいるのだが、妹のShirley (Sarah Silverman)のパーティで女優のFelicia Montealegre Cohn (Carey Mulligan)と出会って転がるように恋におちる。

スターとしか言いようのない指揮者としてのカリスマ性とプレゼンス、表面には出てこない作曲家としての彼、それらに加えてNYの社交界の華、セレブリティとしていろんな人々からいろんなことを求められる彼、才能の塊に多彩な顔を持って時代の文化を創ったり担ったりした彼の落ち着きのないばたばたした活動は彼のキャラクターそのもののように投影されて(いや、逆かな?)せわしなく元気いっぱいのサイクルが四季のように回りだす。

Feliciaとの運命の出会いはあっても、彼女との間に3人の子供ができても、それが彼の「活動」の勢いやスピードに影響を与えたりすることはなく、変わらず男性との関係は続けているようだし、アルコールもドラッグもやりまくり、その噂が家族の耳に入ったところで収まることはないし反省なんてもってのほかで、好き勝手にやりまくる。でもそれは彼が彼だからできること、彼が彼であるために必要なことなのかもしれないとしてもFeliciaや娘のJamie (Maya Hawke)には受け容れられるものではなく、少しづつFeliciaの表情に暗い影を落としつつ、彼女自身の女優としての活動も活発になるとどこかに消えたり、そんな捩れも英国のカテドラルでのマーラーの『復活』のドラマチックな指揮によってどこかにとんで改めて抱擁したり。

ふたりが互いの背中をくっつけて座る絵がいくつかの時代、季節と共に描かれて、その像が変わらなくてもそれぞれの顔がどっちを向いていようともその触れあう背中が離れることはなかった.. ということなのか、でもそのうちにFeliciaの癌が明らかになると…

NYに暮らして、文系でいろいろ見ていこうとすると – いや必ずしも文系でなくても、四季のどこかで必ず彼の音楽とか作品 - Jerome Robbinsのダンスでも”West Side Story”絡みでも – を目にすることになる、それくらい彼の遺した遺産は巨大で、ドラマの量的にはもっといろんな人を絡めてTVシリーズくらいにしてもよかったのでは、くらいに思うのだが、せわしなくモノクロとカラーとサイズを変えながら時系列で行ったり来たりする、そういう流れの真ん中にこの映画の背中を合わせたふたりを置いてみる。

でもというかだからというか、Bradley Cooperの鼻は、ついどうしても見てしまう。”The Hours” (2002)でVirginia Woolfを演じたNicole Kidmanの時ほどではなかったけど、やはり。なんで鼻だと気になって見てしまうのかしら?

いまに始まったことではないけど、Carey Mulliganがひとりゆっくりと暗いなにかを纏って悲しみと共に崩れ沈んでゆくさまはすばらしい。誰のせい? なんて質問させることを許さない強さも込みで。
もし女性が監督したら、この辺はこんなに緩くは描かなかったのではないか?  という辺りがなんか。

かかる音楽は当然Bernstein作のを中心としたクラシック系ばかりなのだが、終わり近くの晩年のほうで、カーステレオからR.E.M.の"It's the End of the World as We Know It (And I Feel Fine)" (1987)のあの一箇所が聞こえてくる(これは当然)のと、教育プログラムでひっかけた教え子男子を連れていったクラブでTears for Fearsの”Shout” (1984)が流れたりする。この辺はBradley Cooperがやりたかったのではないか。

ThanksGivingのパレードでスヌーピーのバルーンが窓の外を通るのが映る。一時期、あのパレードであれだけを待って追っていた時があったなー。

だれか、これと同じようなノリで小澤征爾のドラマも作らないかしら? きっと楽しいのになると思うー。

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