9.22.2023

[film] Petite nature (2021)

9月16日、土曜日の午後、日仏学院の第五回映画批評月間で見ました。
邦題は『揺れるとき』、英語題は”Softie”。監督はSamuel Theis。

長髪を後ろで束ねて華奢で女の子のように見えなくもない10歳の男の子Johnny (Aliocha Reinert)が母に連れられ兄と小さな妹と一緒に家を出ていくところが冒頭。後に残され捨てられる父親はぼーっとして不機嫌なまま荷物をぶん投げたりしているがもうどうでもよいらしい。

母親(Mélissa Olexa)と一緒の新生活で明るい未来が開けるかというと、そんなことはなく、ドイツとの国境付近でタバコ屋をやっている彼女は夜遅いしずっと酔っぱらって男を連れこんでいたり、少し上の兄は不良でGFと遊んでばかりなので、Johnnyは妹の手をひいて彼女の面倒をずっと見ていて、でもこれまでもずっとそうだったから、と諦めて少し怒ったように無言で宙を見つめていることが多い。

新しい学校では若い男性教師のAdamski (Antoine Reinartz)がそんなJohnnyを気にかけてくれて、話しかけてくれたり本をくれたりするので、少し好きになって彼の家をつきとめてみたりして、思いきって扉を叩いてみると先生は家に入れて一緒に暮らしている彼女を紹介してくれて、彼女が務めているCentre Pompidou-Metzの夜間美術館に誘ってくれたり、いろんな人たちのいるパーティに呼んでくれたりする。

こうして周囲の世界や大人にまるで無関心だった - 右左で水槽に運ばれる金魚のようでしかなかった - Johnnyの世界で、彼ははじめて自分の欲しいものを手に入れたいと思ったり、それを妨害してくるものに抵抗したり怒ったりすることを、その感覚を掴んでいく。でもそれもまた粗暴な母親やそこまでは意識していなかったAdamski先生に否定されたり、もっと大きい「良識」のようなものに簡単に潰されてしまったりするのだが。

そうやって外の世界と自分の内の世界との壁やその境い目でいろんなせめぎ合いがあって自分の思うようにはならない(ことが多い)のだ、ということを学ぶJohnnyの脆く危なっかしい「揺れるとき」を拾いあげていく。いつも友達とつるんでいる彼の兄からすれば何に躊躇しているのかわからないであろうことがJohnnyの目とか結ばれた口とかから読み取れて – それくらいのきめ細かさで彼の表情と動きを微細に追っていくカメラがとてもよい、というかところどころ張り裂けそうになって辛すぎたりするくらい。

最期にDeep Purpleの”Child in Time”ががんがん鳴りだして、生まれれ初めてこの曲よいかも、って思った。


Revoir Paris (2022)

9月17日、日曜日の午後、同じ日仏の特集で見ました。  邦題は『パリの記憶』、英語題は” Paris Memories”。

上の『揺れるとき』もこれも、とにかくぜんぜん外れがないのってすごい。デプレシャン特集のおまけ・ついで、なんてレベルじゃ全くないの。

監督・脚本は“Mustang” (2015), “Proxima” (2019)のAlice Winocour。

ロシア語の同時通訳をしているMia (Virginie Efira)は医師のパートナーVincent (Grégoire Colin)と一緒に暮らしてごくふつうの日々を送っていたが、雨の晩にちょっと立ち寄ったブラッスリーで銃乱射事件 – ここの描写、ものすごく怖い - に巻きこまれて気がついたら病院で手当てを受けてて途中から記憶がなくなっていることに気付く。テロから3カ月経っても心神喪失状態のままのMiaは誘われるままに現場で被害者の人たちが定期で開いている集会に参加してみると、別の参加者からあなたが自分ひとりトイレに逃げ込んで難を逃れていたのをみた、って卑怯者呼ばわりされ、でも憶えていないのでどうしたらよいのか、って途方に暮れるしかない。

同じく現場で友人たちと会食をしていてテロの際に足を怪我したThomas (Benoît Magimel)と知り合って親密になったり、少しづつ戻ってくる記憶を頼りに厨房に匿ってくれたらしい男性を探したり、そうしているうちにVincentとの関係は細く遠くなっていって…

テロそのものの恐怖は勿論あるのだが、突然暴力的に記憶を奪われる、ある部分の記憶を喪失してそこに自分がいたのかどうかすら定かでなくなってしまうことの怖さ、心細さがよく伝わってきて、それって多数の死者が出たなかで自分だけが生き残ってしまった - なぜ? という罪の意識のようなもの(おそらく来る)と重なって実存の不安(のようなもの)に直結してしまう。起こってしまった出来事にしがみついてそこから這いあがりたいのにどこにも引っかかりがない→すべてが滑りおちていく感覚の生々しさ。主演のVirginie Efiraがすばらしく上手い。

監督の兄が2015年のバタクランのテロの際の生存者だったそうで、そういうことなのか、と。


『揺れるとき』もこれも、身近なひとの誰にもわかってもらえない - 孤児のようになってしまった感覚のありようを映像でとてもうまく捕らえて伝えていて、『あ、共感とかじゃなくて』になっている - 彼らに必要なのは共感ではなくケアなのだ、というのを切実に訴えていてよかった。

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