9.11.2023

[film] La casa lobo (2018)

9月3日、日曜日の昼、イメージフォーラムで見ました。

実験ふうアニメーション「なのに」大ヒットしているようで、よいこと。イメージフォーラムで売り切れ印をみるなんてそうあるもんではないような。

監督はチリのCristóbal LeónとJoaquín Cociñaの二人組による二本だて。- PJ HarveyのPV - “I Inside the Old I Dying”もこのふたりによるものだった。きもちわるとかわいいの危なっかしい境界上の可逆と不可逆を行ったり来たりしつつ、ノスタルジーと段ボールの糊で繋いで崩してを繰り返して、内外の変容への感覚が麻痺していくような効果をもたらす。ホラーとトリップ紙一重のあやうい綱渡りのような。

Los huesos (2021)


14分の短編。邦題は『骨』、英語題は”The Bones”。Ari Asterが制作に参加している。
1901年に制作されたというストップモーションアニメーションが2021年に発掘され、Nuevo Museo de Santiagoがこれを復元してみたらこんなものが映っていました、という。

チリの建国に携わった二人の歴史上の人物 - Diego Portales (1793-1837)とJaime Guzmán (1946-1991)のお墓を少女のConstanza Nordenflycht (1808-1837) - 15歳の時にDiego Portalesと関係を持たされ3人の子供をもった – が掘りおこして死者の骨を拾って魔法の儀式のなかで蘇らせて... という肉の再生過程がフィルムの逆回転のなかで描かれて、フランケンシュタインとかゾンビみたいなのだが、彼女がそれをやることでなにを実現したかったのかが最後にぽつん、と慎ましく明らかにされる。こんなふうに骨に絡まった(絡まされた)歴史の紐から解き放たれたい人 - 女性 - 兵士、など、きっと山程いるよね、ってちょっとしんみりした。


La casa lobo (2018)

世界中でいろんな賞を受賞している。5年をかけて作成された74分間のノンストップモーションアニメーション。邦題は『オオカミの家』、英語題は”The Wolf House”。

ピノチェト独裁政権下のチリの田舎でプロパガンダ風のナレーション(Rainer Krause) - スペイン語ときどきドイツ語 - によって地元のおいしい蜂蜜を産する夢のような共同体 - コロニーの紹介がされて、そこを抜け出してオオカミのひそむ森に向かったMaria (Amalia Kassai)が一軒家を見つけて、そこにいた二頭の子豚PedroとAnnaを養子にして、彼らを囲い込み、ヒトとして成型して彼女にとっての理想の家と家族を実現しようとする。お話しとしてはほぼこれだけ。

森やオオカミといった外部と壁に囲まれ家具やキッチンのある内部 – すべてがぐにゃぐにゃ可変 - とを結ぶMariaの知覚世界がどこかから聞こえてくる声や子供たちによってどう変わって、変えられていくのかが一連の、果てのない悪夢のなかで描かれ、そのどこまでも容赦なく終わらない、止まらない眩暈耳鳴りのさまを描く。

ぜんぜん止まらない実物大のアニメーションとして見ていて飽きないのだが、ダークで怖くて震えるかというとそんなでもなく、アンフォルメルだけどアバンギャルドで変なわけでもなく(音響とかもっと工夫できたのではないかしら?)、溶けるところと固化するところのバランスはよくて、ところどころかわいく見えてしまったりもして、背景を知らないとわーどろどろでおもしろ、くらいに留まってしまうかも。これなら”Coraline” (2009)とかLaikaの初期作品のほうが怖く生々しく迫ってくるものがあったような。

あの時代のチリに実在したドイツから逃げ出してきた児童虐待犯だったPaul Schäferがチリの山奥につくったカルト - Colonia Dignidad(尊厳の家?)がモデルで、そこからの脱出とか逃亡、記憶を漂白したり、がテーマなのだと思えばその痛ましい傷口も見えてくるのだろうが、それらは再現できたり追体験できるものでは決してないというのは作り手もわかっているのであんなふうになって、でもまだはっきりとオオカミはいるのだ。いまのこの国にだってうじゃうじゃ。

あと、異なるものから不可視だった過去を発掘/発見して伝えようとする試みであれば、Patricio Guzmánのドキュメンタリー諸作のようなやり方のほうが真っ直ぐに届くのではないか、とか。

今日はチリのクーデターから50年目だった。

そして911も。あれから22年経って、あの時真っ暗になって混乱していた自分とかその周りにいた人たちに、もうだいじょうぶになったよ、って言えるようになっているかというと、まだぜんぜん。あまりにだめすぎてかなしい..

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