9.21.2023

[film] Frère et Sœur (2022)

9月16日、土曜日の晩、ル・シネマ渋谷宮下で見ました。邦題は『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』、英語題は”Brother and Sister”。”Rois et Reine” (2004) – “Kings and Queen”と並ぶ家族対置ドラマ。上映後に監督Arnaud Desplechinのトーク付き。

今開催中の日仏でのArnaud Desplechin特集もこれを見た以降、順番に見ていて、これから書いていきたいのだが、ひとつひとつ、ものによっては20年ぶりくらいに見たものもあって – それは楽しいことでもあるのだが、記憶も含めて掘り返して振り返り、はなかなか重くしんどいやつらでもあり、ずっと映画を見ていくとこういうこともあるのだな、っていうのと、こんなことまで映画はもたらしてくるのか、って(いろいろおそい)。

冒頭、詩人のLouis (Melvil Poupaud)の息子の葬儀に義兄のAndréが現れるとLouisは10年以上も顔も出さないでなんだ! って激怒して追い返そうとして、そのドアのところにLouisの実姉のAlice (Marion Cotillard)もいる。そんなに怒らなくても、というくらい怒る。

そこから5年後、LouisとAliceの両親 – Abel (Joël Cudennec)とMarie-Louise (Nicolette Picheral)が舞台女優であるAliceの主演舞台『高慢と偏見』の初日に車で向かう途中、向こうからやってきて木に衝突してそのまま車のなかで動けなくなってしまった女性を助けようとして車から下りたところで、同様に変な動きをしながらやってきたトラックに轢かれてしまう。女性は死亡して、Marie-Louiseは意識が戻らず寝たきりとなり、Abelは集中治療室に入っている。

両親の事故を知ったAliceはLouisの新しく出た本にむかむかしたり最悪の状態で、でもどうにか舞台はやりきって病院に向かい、道路も通っていない田舎に妻Faunia (Golshifteh Farahani)とふたりで籠っていたLouisも都会に出て病院に向かい、しばらく両親の家に滞在することにして、Aliceを除く甥とか義兄とは会うものの、Aliceにだけはどうしても会いたくないし、病院ではLouisの姿を見ただけでAliceは卒倒してしまうし、いろいろ辛すぎてやってられないLouisはアヘンを手にいれてトリップしてみたり - 実際にLouisが空を飛んだりする。

Aliceは劇場の外で震えていた彼女のファンだというLucia (Cosmina Stratan)のことが気になって、ルーマニアから来て無一文らしい彼女の面倒をみてあげる。Luciaとのやりとりのなかで明かされるAliceとLouisの過去のこと。そんなLuciaに食べものを買ってあげようとスーパーマーケットに向かったAliceはLouisにぶつかって目を合わせる – あんなに会いたくなかった奴に。

やがてMarie-Louiseが亡くなり、彼女の葬儀を巡ってAliceとLouisの影の争いがあり、それに続くかのようにAbelがベッドで管を引きちぎって廊下で倒れて亡くなり、その葬儀ためにFauniaもでてきて、両親の家の片づけが始まって。

幼い頃から親に天才ともてはやされてきたAliceと、他の天才の話を散々聞かされ苦労してきたLouisが賞を受賞して文壇デビューしたとき、Aliceは面と向かってあんたなんか大っ嫌い、と言い、互いの成功を嫉んだどろどろの沼に嵌ってそれがLouisの息子の死により、さらに3名の死も描かれ、超えようのない溝が深まって戻りようがないところまで拗れてしまった、と。

Arnaud Desplechinの映画のなかで、ちょっと癖のある/変な人のいる家族や主人公たちをドライブしたり場合によっては支えたりしてきた「憎しみ」という感情、それが家族のなかでも/なかだからこそ強く根を張って猛毒となりシミをつくり、やがて取返しのつかない事態を引き起こす – でも生き残った者は傷を負いながらも生きていくし、というのが基調音で、そこはDesplechinの映画だなあ、とは思うものの、今回のについてはどうしてもその憎しみのありようがこちらに迫ってこなかったかも。 どうやってそれが生まれて、どうして抱えこまなければならなかったのか? について。その起源と行方を常に考えさせてくれたのが、彼の映画だったりしたので、それに従って考えてみると。

監督とのトークのなかで、Aliceはピュアな存在で、Louisは反対にどこまでも邪悪なほうで、という説明があったが、オースティンやジョイスの劇を演じる女優で、寄ってきたファンの娘をとても気にかけてしまうまさにMarion Cotillardとしか言いようのない彼女が、なぜ - 向こうが悪いことは十分わかっていたとしても – Louisひとりにあんな態度を取って/取れて、解けない毛玉を吐いて転がしてしまうのか、そこのつっかえが最後まで取れなかったかも。たとえば、“Kings and Queen”のEmmanuelle DevosのMaurice Garrelに対する憎しみは、ものすごくよくわかる、けど今度のは-。 そこさえ乗り越えてしまえば、あとはいつもの歪で死者を踏みこえていくでこぼこした世界が広がっているのだが。

あと、最後に彼女が遠いアフリカの方に行ってしまうとこも.. それでよいのかなあ、って(まだ考えている)。ふたりそれぞれ僻地に行けばよかったのにな。ヒマラヤの山奥の小道とかでぶつかって「あなたは.. わたしのお姉さんではありませんか?」って(まだ)言うの。

音楽はAl Stewartの“Timeless Skies”が聴こえてきた、気がした。

John Cassavetes映画との比較でいうと、似たかんじではあるものの、彼の映画の主人公たちはまず破綻してぶっ壊れててまったく先がないの。その条件でその状態で酔っ払ったみたいに「愛はとめどなく〜」なんてぬかして狂っていくの。Arnaud Desplechinの今回の、最近のも真ん中にいるのはとりあえず成功者、勝ち組の確信犯なのよね。“Kings and Queen”のNoraだって。

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