9.04.2023

[film] La maman et la putain (1973)

8月26日、土曜日の午後、ヒューマントラストシネマ渋谷のジャン・ユスターシュ映画祭で見ました。

邦題は『ママと娼婦』、英語題は”The Mother and the Whore”。 モノクロ、219分、4Kリストア版。NY行きがなければ、初日にかぶりつきで見に行ったはずの待望の1本。作・監督はこれが彼にとって最初の長編作品となるJean Eustache、撮影は『影の軍隊』(1969)のPierre Lhomme。73年のカンヌでグランプリ(Grand Prix Spécial du Jury)を受賞している。

冒頭、主人公のAlexandre (Jean-Pierre Léaud)がEx.のGilberte (Isabelle Weingarten)を追いかけて結婚したいんだけど、と迫るのだが、Gilberteはそんなふうに前のめりのAlexandreにもうあなたとは無理だし会いたくないし別の人と結婚するのだからもう寄ってこないで、とはっきりと告げる。

ここまでのAlexandreの喋り方とか態度などから彼がどんなひとなのか – 特に仕事はしていないふう - はおおよそ見えてくるのだが、彼はブティックに勤める年上のMarie (Bernadette Lafont)のアパートに居候していて、それは同棲というほど熱く湿ったものではなく、野良犬が屋根と布団を求めて出入りしているだけのような温度感で、彼は目が覚めて支度してそこを出るとLes Deux Magotsなどのカフェに行って男の友人たちと本や新聞の話題とか68年のことなどとうにどうでもよさそうなことをあーだこーだ喋ってだらだら過ごし、そこで目があってこちらに何かを送ってきた気がした女性を追いかけて電話番号を聞きだして会おうとする。それがVeronika (Françoise Lebrun)で、ポーランド系のフランス人で看護婦をしながら病院の寮で暮らしていると。

Veronikaは自ら性的に奔放でいろんな男と寝ているとはっきり言って、そう言われてもべつに動揺しないAlexandreとも親密になっていって、初めのうちはそれをMarieに言ってもふたりの関係に影響を及ぼすことはなかったのだが、MarieがLondonに出張しているときにVeronikaをアパートに呼んだりしているうちにオープンにぐだぐだになっていって、MarieとAlexandreが寝ている時間に酔っぱらったVeronikaがなだれこんできて、そのまま3人で寝たり、そういうことをやっていても3人のありようはそう変わらないように見えたのだが、Marieが睡眠薬を飲んで自殺未遂を起こしたりして…

Marieのアパートの部屋 – のザコ寝している部屋(ほぼ定点)とAlexandreが通うカフェいくつか、場所としてはそれくらい、登場人物はAlexandre周辺にいる胡散臭そうな男たちを除けばほぼ3人で、そこで語られる言葉というとAlexandreの独り語りのような周囲の本や詩や音楽や愛や町についての呟きと女たちとの痴話喧嘩を含むどこまでも行方の見えない愛とか関係についての戯言ばかり - 後半にVeronikaの比重が大きくなっていく - 用意されたプロットやカタストロフィに向かって追われていくわけでもないのに、これだけで3時間半以上もたせてしまうのって、なんかすごい。(一応、「結婚」というのはキーとしてあるのか)

この感覚が(よい意味で)よくわからなくて、なんでだろう? というとこもあったので須藤健太郎氏の『評伝ジャン・ユスターシュ 映画は人生のように』を読み始めて、まだ読み終えていないのだが、破滅的な人生 - 最後は拳銃自殺 - を歩んだJean Eustacheの生涯を端から追っていく、というよりは個々の映画のなかに彼の人生の欠片とか痕跡を拾っていくというアプローチがおもしろい – そういうことができてしまう人生などについて。

この映画に関しては、MarieとVeronikaには実在したモデルがいたがAlexandreにはいなかった、というところとか、彼の言葉のところどころ他人事のように乖離して聞こえる語り口(引用の織物)については同時代のJean-Jacques Schuhlの”Rose Poussière” (1972) -『バラ色の粒子』の影響が大きいこと、などについて、あとはMarieのモデルとされて、映画では美術全般を担当していたCatherine Garnierが映画完成直後に自殺してしまったこと、などが印象に残った。

タイトルも含めて、この映画における女性の描き方 – Jean Eustacheが女性のありようをどう見て、どうとらえて表象したのか、については - 当時はこんなんだったのかもなー、でもJean Eustache個人のジェンダー観のようなところに閉じてしまうのでもなく、今の目線でどこにどんな問題があったのかなかったのか、それは当時のなにがもたらしたものだったのか、などについて誰かの書いたものがあったら読みたい。

あと、ラジオのように(実際にはレコードをかけたりして)部屋の隅を流れていく音楽たちが甘くせつない。こんなにも甘く鳴ってしまってよいのか、Léo Ferré - Édith Piafの『パリの恋人たち』 - とか、これってなんなのかしら? って。

もう一回くらい見たほうがよいかも。
 

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