8.19.2019

[film] Go Fish (1994)

7日水曜日の晩、BFIのNineties特集で見ました。

94年のSundanceで話題になって、メジャーなところにも売れてそこそこヒットして、こんなインディーのレズビアン映画でもマーケットバリュー(けっ)があることを(狭い)世に知らしめた作品。
Rose Trocheと出演もしているGuinevere Turnerがふたりで書いて、Rose Trocheが監督している。

16mmのモノクロで撮られたスケッチのような作品で、映画を撮ろうとしている学生のMax (Guinevere Turner) がいて、彼女のカメラ(+1)を通して映しだされる彼女の周囲にいる女性たち(4人、20〜30代)の肖像とか日常のやりとりとか。特に大きな事件に小さなエピソード、修羅場などが出てくるわけではなく、誰かが誰かを好きになった、とか、やっぱ別れた- またくっついた、とか、なんであたしはこんな、とか、あんた誰よ、とか、それぞれの日々の決意や後悔やお小言が重ねられ、たまに彼女たちは集まってパーティしたり全員あお向けになって告解とか白状してみたりする(そしてそこには必ず新参者がいて変なかんじになるのがおかしい)。

レズビアンだから女性だから、みたいな目線が特に強調されているようには見えなくて、ただ男野郎同士のこういうのだとバーで呑んでくだまいて、で終始しそうなところ(偏見です)をもう少し細やかな(髪を切る爪を切るお茶を飲む、とか)キッチンやリビングでのふだんの生活の動作に目を向けていて、それが結果としてこの作品のナイーブな性格と柔らかく調和しているのだと思った。女性ならでは、という言い方をすべきではないのかもしれないが、特に開き直っているわけでも言い訳しているわけでもない。なんかかわいいでしょ、でこじんまりすることも露悪に曝しまくることもなく淡々と開かれてそこにいる。 その辺の潔さも含めて、タイトルの“Go Fish” – おととい来やがれ – はいろんな意味を含んで反射していておもしろいかも。

あくまで印象だけど、“Stranger Than Paradise” (1984)とかにあった、あんたなにもの? な無骨さと、それがもたらすユーモア、がなんともいえなくて、とにかく彼女たちがああしているだけでとても素敵で。今もあんなふうにどこかで暮らしているんだろうな、いてほしいな、Trumpとかに激怒していそうだな、とか。

でもぜんぜん(どこがツボなのか)わかんない箇所で爆笑している女性たちが結構いて、あれってなんだったのかしら、って今だにちょっと思う。


いま(さっき見たらもう終わっていた)、Nineties特集の関連企画としてBFIの隅っこのスペースで、"Nineties Video Store Pop-Up"ていうのをやっていてなんだかとても懐かしい。よく再現したもんだと思うが90年代のVHSレンタルをしていたチェーンの店舗を模して、90’sの作品を中心にVHSの外箱がいっぱい並べてあって、見たいやつがあったらそこに置いてあるプレイヤーにかけて見たり、置いてあるスナックも食べてよいらしい。やったことないけど。

今これらはNetflixの選択画面になってしまったわけだが、昔のこれってみんなが行き来したり探し物しているところで棚から選ぶ、っていうのが重要だったのよ。そんな恥ずかしいの借りないよ、とか、それつまんないかもよ、とか(言わないけど)。 本屋が必要な理由もここなのよ。

https://www.timeout.com/london/things-to-do/nineties-video-store-pop-up

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