8.19.2019

[film] Apocalypse Now: Final Cut (2019)

13日の晩、BFI IMAXで見ました。 なぜかこの日一日だけ(お盆か?)、英国のいくつかの映画館で上映があり、その後はぽつぽつ上映されているみたいだが、なにがどうなってそんなことしているのかは不明。

BFIでは12:00、16:00、20:00の3回上映があって、仕事あるから20:00のにせざるを得ない。こんなのSold outするに決まっている。チケットは5月くらいに知ってすぐに取った。

Star WarsのEP4の次に劇場で回数多く見てきた作品。 最初の有楽座の70mmのときに2回、続く35mmの方は10回くらい見た - こっちの方はまだ入替制なんてなかったからね。

Reduxのときは米国にいて、これは全く違う映画になってしまったかもと思って、あと数回見ないとわかんないな、ってそのままになっていて、気付いてみれば最初のから40年て、なんだそれ、しかないわ。

オリジナルは147分、2001年のReduxは196分、今回のは183分。音も映像もすべてCoppola自身が入ってデジタルリマスターした決定版、なのでこんなのIMAXで見るしかない。 どれくらい洗濯されてきれいになり、なにがオリジナルから、そしてReduxから変わったのか。

時間が遅いし、本編上映後に今年のTribeca映画祭でのプレミアの際に行われたCoppolaとSteven Soderberghの対話をおまけで上映する、ということで予告1本 - 翌日からの”Once Upon a Time … in Hollywood” - だけの後にすぐに始まる。

ヘリ/ファンの音が背後から左前方にゆっくりと旋回していって、彼方から”The End”のアルペジオが被さって、突然ジャングルが燃えあがる冒頭、ものすごくキレイになっちゃったな、って。 これはデジタルリマスターされた昔の音に再会したときにいつも受ける印象と同じ。 最初に見たとき、このシーンは、靄の中あまりに唐突で、なにが起こったのかまったく理解できないくらいの衝撃だったことを思いだす。いまこれを最初に見た若い人はどう見るのかしら。

音は相当に凄まじくなっていて、これがIMAXによるものなのかは不明だが、Kilgoreが出てきて"Die Walküre”で爆撃するシーンのやかましさ、そこらじゅうから何かが飛んできそうな包囲されてやばいかんじときたらとんでもない。

たぶん、でしかないが、Reduxから新たに発掘追加されたシーンはなくて(細かな編集は除く)、一番はっきりと削除されたのはReduxで一番よくわからなかったPlaymatesと再会するシーン。 French Plantationのシーンは残されていて、おそらくRedux版がより強調しようとしていた戦争の狂気と混沌を、オリジナルのWillardの旅を通したKurtzとの確執とWillard自身の葛藤、その鏡面構造が露わになっていく本来の筋立てに収斂させるべく戻したような。

その角度からFrench Plantationのシーンを捉えなおしてみると、ベトナム戦争の関係国でもあり、その植民地政策も含めて国に対する意識のありようが揺るぎないフランス人(家族)との対話を置く - 更にその家のRoxanne (Aurore Clément)と関係をもつ、という補助線を引くことで、米国政府から派遣された刺客としてのWillardの視座と意識が(Willardのなかで)定まる - Kurtzの側から引き戻す、という効果はあったかも。

最初の70mm版のラストで王国の王座にひとり立ちつくしたWillard、 35mm版のエンドロールで爆撃されて焼きつくされた王国、そして今回のは …

戦争の悲惨な描写を通して直接的に反戦を訴えるような映画でも、狂人とその王国をせん滅するヒーローものでもなく、戦争とジャングルと河と殺し合いが人の本来持っている何か(があると仮定して)を決定的に歪めたり呼び覚ましたりしてしまう - それを狂気と呼ぶひともいるようだが、それって本当にそう呼んで遺棄してしまってよいのか? こんな「戦争」を前にして、それでもそんなこと言えるのか、言ってよいのか? そこには循環して止まらなくなる問いがあり、 その問いのコアにあるのがかつては“Heart Of Darkness”と呼ばれ、その底から”the horror .. the horror..”という呻きが吹いてくるなにかで、それは決して今の時代に無縁なそれではなく、そこらじゅうに湧いて噴き出しているのではないか。 戦争を引き起こすのは狂人ではないし、人は狂人に「なる」のだし。

上映後のCoppolaとSoderberghの対話は最初の方だけ少し聞いて、もう23:30を過ぎていたので帰った。 探せばネットのどこかにあるじゃろ、と。 それにしても、この企画をJohn Miliusのおおもとのシナリオを携えてGeorge Lucasが撮っていたら …  映画史上に”Star Wars” (1977)も”Apocalypse Now” (1979)もどっちも存在しないことになっていたのかも。 それってなんかすごいなー。

あと、この翌日から上映が始まった”Once Upon a Time … in Hollywood”とはCharles Mansonで繋がっているのだった。 ただの偶然よ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。