6.03.2019

[film] Tarde Para Morir Joven (2018)

5月23日の晩、BFIで見ました。英語題は”Too Late to Die Young”。
上映後に監督Dominga SotomayorさんとのQ&Aつき。
監督にとっては長編第二作で、2018年のロカルノ国際映画祭で監督賞を受賞している。

NYでもちょうど上映が始まっているのね。

1990年の年末のチリ - 夏が始まろうとしている頃(南米だからね)、学校が終わると16歳のSofía (Demian Hernández)とか、16歳のLucas (Antar Machado)とか、10歳のClara (Magdalena Tótoro)とか、子供たちはひとつの車に押し込まれて田舎のほうにお引越しをする。 ピノチェトの独裁政権が終わって自由を謳歌する空気のなか、大人たちが森に共同で暮らすコミューンのような村のようなのを作って、子供たちはそこに連れて行かれるらしい。

電気や水道のことで忙しい大人たちから放っておかれて、子供たちは楽しく遊んでいるかというとそうでもなくて、Sofiaにはなにもかも退屈でおもしろくなくてタバコばかり吸っているし、幼馴染のLucasはギターの練習をしながらそんなSofiaのことがいちいち気になっているし、Claraは引越しのときにはぐれていなくなってしまった犬のFriedaのことが心配で気分が晴れない。

両親が別れてしまって父親と暮らすSofiaは、少し歳の離れたIgnacio (Matías Oviedo)のバイクの後ろに乗せてもらって町の方に出て、年末のパーティには母親も来るから、そうしたら彼女についていって町で暮らすんだから、と彼に語り、周囲にもそれを言うことでなんとか正気を保っている、というか、そこ以外はやってらんねーや、だし、Friedaのことで辛そうなClaraに親たちが見つけたよ! って別の家に飼われていた犬を金を払って連れ戻してくれても、どうもこいつは別の犬ではないか疑惑があってなんかすっきりしない。

こんなふうに表面はばらけて、でもその張力はかろうじて穏やかに保たれつつ、なにやらおおごとらしい大晦日の年越しパーティに向かっていく子供たち(と大人の中間にあって宙ぶらりんな)ひとりひとりの表情や挙動を丁寧に追っていく。 そしてパーティでは山火事だなんだとほんとうにいろんなことが起こって、その翌朝の描写も素敵なのだが、それは見てみて。

いつも仏頂面でタバコを手放せなくなっているSofiaから(Lucasのように)目を離せなくて、彼女の眼差しも首すじもかつての自分たちが世界に晒していたそれ - 気軽に話しかけてくんじゃねえよ - だと思うし、”Too Late to Die Young” ていうのもその通りとしか言いようがなくて、それだけでもとにかく見たほうがいい。

監督自身の幼〜青年期のことを描いた、と聞くと昨年の“Summer 1993” (2017) - これはフランコ政権からの解放後のオープンな空気の中で、大人たちほど楽しめなかった女の子の姿を描いた映画だったが - でも子供たちは社会や親たちがどうあろうとこんなふうに揺れて危うくて、冗談じゃねえよ、の世界を彷徨っている。 監督たちにとってはフィクションとして作った部分も含めて自分の幼年期のことを映画化することがとても大切だったことはQ&Aでもインタビューでも語られている。

音楽はMazzy Starの”Fade into You”がすばらしい調和を見せて、エンドロールでもこの曲のスペイン語版 - そんなのあったんだ - が流れる。 “Too Late to Die Young” というタイトルに被せてみると、なんか。

この晩は、この後、監督のデビュー長編の上映もあったのだが、体力がもう.. だった。 またどこかの機会で見たい。

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