1.25.2019

[film] Il Grido (1957)

ああいろいろばたばたすぎる。
20日の日曜日の晩、BFIのAntonioni特集で見ました。 英語題は“The Cry”、邦題は『さすらい』。

冒頭、Irma (Alida Valli)は7年前にオーストラリアに行ったきりになっている夫が現地で死亡したという報を受けて、彼女はそれを家の近所の工場で働いている内縁の夫Aldo (Steve Cochran)に伝えるべく彼を昼休みに呼びだす。これですっきり結婚できると走って家に戻るAldoだったがいきなりあたしたち別れましょ、って言われてがーん、て。

これまでに見てきたAntonioniからすれば、ここから先はIrmaの新たな恋に向かったさすらい旅、になる、と思っていたらそうではなくて、娘のRosinaを連れて仕事なんかどうでもよくなって家を出ていくのはAldoのほうで、かわいそうにそんな彼を誰も止めなくて、カメラはそんなAldoのいじけたしょんぼり汚れ旅を追う。

彼はかつて付きあっていた女友達を訪ねたり仕事を探すふりしたり、川縁(Po河)に行ったりガソリンスタンドに行ったり(結構付きあっていたらしい)、そのたびにまだあたしのことすき? とかやったりするのだが、結局Irmaが頭からどいてくれず燃えあがらないまま中途半端にごにょごにょするばかり、更にそうやっているとこをRosinaに見られて、パパなんかだいっきらいーと彼方に走り去られてしまう、わかったごめん、て捕まえて別の土地に… その繰り返しで、最後は結局もとの家に戻るのだが、戻ってもやっぱしIrmaは..  だし、工場はデモで盛りあがっているし、ふらふらとかつての仕事場の塔に昇っていって...

これの一つ前に作られていて関連もあるらしい”Le Amiche” - The Girl Friends (1955)を見れていないのでなんとも、なのだが、前々作の”The Lady Without Camelias” (1953)もやはり勝手に梯子を外されて行き場を失った女性のお話しで、でも彼女は踏んばったし、ここまでストレートにころがり落ちていくものではなかったような。仕事があっても一緒についてきてくれる娘がいてもだめなものはだめなんだよう、って流れている川とか降ってくる雨にそのまま打たれてずるずる流されていく、そういうメロドラマで、かわいそうなかんじもあるけど、そんなにかわいそうに見えないのはなんでか。また、彼の反対側でIrmaは勿論、かつてAldoが捨てた女性たちはへっちゃらに強くてAldoみたいにならなかったのはなんでか。

たんにAldoはだめな奴だねえ、ていう話ではなくて、彼がああなっていく理由や過程はそれなりの場面や視線の交錯や背景でもって喋らなくても説明されていくかんじで、その起源とか方式はこないだの一連の短編ドキュメンタリーのなかに見ることができる気がした。最初のPo河の生活を描いたやつから人が働いている描写からなにから。 そしてこの後の「不毛」3部作では(真ん中のはまだ見てないけど)、女性は道の向こうに歩いて行ってしまう(戻ってこない)もので、建物はただ突っ立っているだけで、押してくるのは海とがさつな男ばかりで。

配布されたペーパーによるとAntonioniは、1952年のロンドンの場末で3時間半壁を見つめているときにこの話を思いついた、と言っていて、確かにそういう閉塞感のなかで作られたお話し、のかんじはある。更におもしろいのは、プロデューサーにはこれと”L’avventura” (1960)を一緒に渡して、プロデューサーはまずこっちを選んだのだと。 なるほど”L’avventura”とはいろんな点で対になっているのかも。 どちらも喪失を起点にしつつも、一方は愛に殉じて、もう一方は愛を棄ておく。

河べりで、子供たちがporcupine(ハリネズミ?)を捕まえたよ! 2匹も!って親のところに持っていくと、親は、おおでかした、ローストにするとうまいからなー! っていうとこがあるんだけど、おいしいのかしら?

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