1.20.2019

[dance] Until the Lions - Akram Khan Company

15日の晩、”Holmes & Watson”を見た後に、そのままRoundhouseに行って見ました。今年最初のダンス公演。

ついこないだ、English National BalletによるAkram Khanの「ジゼル」が日本でも上映されて話題になっていた(の?)が、これは彼自身のカンパニーによるモダンで、11日から17日までの6日間公演。初演は2016年に同じRoundhouseで。

Roundhouseはその名の通りまんまるの会場で普段はふつうにロック系のライブとかをやっているところなのだが、その真ん中に土俵のようなほぼ円形のステージを置いてそれを客席が囲んで見下ろすかたちで、前後左右はない。ステージの表面には年輪が刻んであって大きな樹の切り株のようで、切り株のそばの一角に打楽器セットがあって、切り株には細長い竹竿がいっぱいランダムに挿してあり、青いボールのような塊が無造作に転がっている。

“Until the Lions”というのはKarthika Naïrの本 - ”Until the Lions: Echoes from the Mahabharata” (2015)から来ていて、Akram Khanさんが子供の頃に親しんだインドの叙事詩マハーバーラタのエピソードとキャラクターの一部を持ってきているのだという。

薄暗くなって気がつくとステージ上にダンサーがひとりいて、ゆっくりと舞いながらステージ上の竿を一本一本抜いていって、転がっていた青い塊を手にするとそれはヒトの生首で、それを一本の竿の上に突き刺して高く掲げるところから始まる。ダンサーは3人、髪の長い女性と短く髷を結った中性的な女性と壮年の男性 - 彼がAkram Khanで、ライブで伴奏する部隊は4人、ヴォーカル(というよりヴォイス)が男女それぞれ、太鼓と弦や菅でひとりづつ、担当楽器は明確ではなくステージの上をばんばん叩いたり手拍子したり声を出したり、切り株の周縁に沿って移動したり踊ったりしながら、たまにステージ上のダンサーと睨みあい彼らに指示を出したりもする。 全体で7人編成のバンド、といった方がよいかも。

エピソードは結婚式を控えたKashiの王の娘AmbaがBheeshmaに拐われて復讐を誓いつつ亡くなって、やがてShikhandiに転生してBheeshmaと対峙する、というもの(おそらく)で、このことはダンスを見たあとに冊子を読んで知った。 上演後のトークでKhanさんは、お話しの細かいところにいちいち対照させる必要はなくて、例えば権力者の支配や暴力、服従に抵抗に復讐、転生に転性、無常や因果といったおおよそについてダンサーの動きや呼吸、その連鎖を通して感じて貰えれば、と言っていて、なるほどそれは十分にわかるのだった。

ステージの切り株は2度ほど、神の怒りだろうかところどころ割れてせり上がって煙があがったり、最後の竹竿ばりばり打ち鳴らしのやかましさと迫力ときたら鳥肌で、やんやの大喝采だった。 あの人数編成でできそうな人と感情の動き、それらを織り込んだでっかい神話の筋書きをひととおり網羅して思いっきり叩きつけてくるかのような勢いがある。

動きとしてはPina Bauschほどドラマや作劇に寄ろうとはしていなくて、Anne Teresa De Keersmaekerの波やうねりを作っては壊していくかんじに近いかしら、と思ったら彼は彼女と仕事をしたことがあったのね。 あと、終始鳴っているリズムに応えるようにアジア的な舞いの所作や舞踏の要素は入っていて、力と聖と性を巡る葛藤と闘いのどこまでも弧を描いていって果てのないかんじは、よく「悠久」といった表現で言われるアジアのそれに近いのかもしれない。

上演後のQ&AでKhan氏は13歳のときにPeter Brookの「マハーバーラタ」(音楽は土取利行)のオーディションに参加した経験を語って、あーPeter Brookのがあったねえ、って。ちなみにこのオーディションにはいま映画監督をやっているJoe Wrightとかも来ていたんだって。

受け応えでおもしろかったのが、あなたはイスラム教の男女間の役割期待が相当厳格な家族から来ていると思うのですが、こういうパフォーマンスをしたりすることについてあなた自身の家族はだいじょうぶなんでしょうか? というのがあって、彼は確かにそういうとこはあるけど僕の妻は日本人だからなんとか、って言っててそれってどうとればいいのかしら、って。

とにかく、すばらしいダンス(見)始めでしたわ。

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