1.23.2019

[film] Antonioni’s Short Films 1947-65

18日、金曜日の晩、BFIのAntonioni特集で見ました。 彼の初期の短編集なのだが、どれもすごくおもしろかった。最初の1本だけフィルムで、それ以降は撮られた順の時系列で、デジタル上映で。

Il provino - segment from “Three Faces of a Woman” (1965)   32min
オムニバス映画 - “Three Faces of a Woman”からの一編。
新聞屋(ゴシップ紙?)のRichard HarrisがどこかからPrincess Soraya(本人)がDino De Laurentiis(本人)の元で女優デビューするらしいぞ、ていう情報を得て夜道を車でとばしてDino De Laurentiisの事務所に突撃するのだが当然入れて貰えなくて、外でじりじり粘るのとネタ屋にばれちゃったからってSoraya自身が発表に向けて準備ていくのとを漫画みたいな場面展開のなかで描く。
ちょっとおしゃれでスリリングだけど、でも割とどうでもいいことをさらさらと。

People of the Po Valley (Genre del Po) (1947)  11min
彼の最初の監督作。Po河を船団を組んで行き来しながら船の上で暮す人々の生活をスケッチしたドキュメンタリーで、船上の暮らしというと『ツバメ号とシジュウカラ号』(1920)を思いだしたりもしてたまんない。嵐が来るときの準備とかも大変そうだけど、流れていく風景と共にある生活って、なんであんなによいのかしら。

N.U.  (1948)   12min
ローマの道路のゴミ清掃をする人たち - “Nettezza Urbana” - の町の朝と晩と共にあるその活動とか暮らしを追う。 過度に人にフォーカスしないで、町や建物の表面と等価にそこに生きる人々を捉えている。野良猫を見ているよう、かもしれないけど、べつに野良猫レスペクトだし。 バッハにJazzが絡む音楽も素敵。

Seven Reeds, One Suit (Settle canne, un vestito)  (1948)
  10min
川辺で葦を刈るところからそれを機械にかけてパルプを作って、そこで紙ができるのか、と思ったらそれを更にほぐして繊維をとって、それがファッションショーで着るようなドレスになりました、ていうお話し。いろんな機械とその工程を順番に紹介していくのだが、川辺でざくざく刈られる葦があんなふうになっちゃうなんて、機械すげえな、て素朴に感嘆する。

Superstitions (Superstizione)  (1949)   10min
田舎に伝わるいろんな言い伝えとか迷信とか呪術信仰みたいのをそこらのおばちゃんの実演を交えて紹介していく。カエルの脚を縛って、の後に、にょろにょろヘビを素手で捕まえて火にくべて(にょろにょろ)灰にして、とかなかなか強烈なのだが、いちばんこわいのはおばちゃんが全く無表情なことなの。

Lies of Love (L’amorosa menzogna)  (1949)   12min
町のスタンドで売っていて女子に人気のコミック雑誌、かと思ったらそれは写真に吹き出しが入った”fumetti”ていうやつで、そのうちのひとつを撮影・制作している現場とか、うっとりするマニアの熱い目線がたっぷり。男優の人はふだんは町工場とかで働いていて、彼はとっても人気者なの。

La Funivia del Faloria (The Funicular of Mount Faloria)  (1950)   6min
山あいをぬって走るケーブルカーからの眺めをカメラに収めただけなのだが、こーんなに高いんだぞ怖いだろー、みたいのはなくて、この眼前に広がる変な光景はなに? なんなのこれ? みたいな声が聞こえてくるかのような。

The Villa of Monsters (La villa del mostri)  (1950)   9min
トリエステの田舎のほうに建てられて今は廃墟のようになっているかつての貴族だか豪族だかの邸宅の庭で同様に転がって朽ちている変てこな獣とかモンスターみたいな彫刻たちがいて、もっさりした景色の一部になっていてなんかいいなー、ていう。

Attempted Suicide (Segment from Love in the City / Amore in citta) (1953)   18min
Federico Fellini とかも参加したオムニバス映画 “Love in the City”のエピソードの2つめ。倉庫みたいなところに女性とかが集められて、彼女たちは一度自殺をしようとして実行して、でも死ねなかったひとたちで、その数人に、なんで、どうやって死のうとしたのか、なんで失敗したのか、などを現場実況も含めてインタビューしていて、でも聞くほうも喋るほうもおそろしく平熱で、あんた関係ないでしょモードで、この辺のふてぶてしく女性を捉えるところはもうじゅうぶんAntonioniなの。


彼が『Po河』を製作して映画に関わりだした頃って、まだイタリアはドイツの占領下にあって、そこからムッソリーニの独裁になだれこんでいって、そういう時代背景を考えると彼の作品におけるヒト(なかでも性差)の扱いとか、その目線や触感が60年代以降も一貫していったこととか、すごいなあ、って改めて。

ここまできて肝心カナメのリバイバル - "The Passenger" (1975)を見逃している(もう終わっちゃった…)ことに気づいて、あーあ、になっている。

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