3.12.2018

[film] I, Tonya (2017)

4日の日曜の昼間、CurzonのAldgateで見ました。
オスカー授賞式の日の昼で、これを見とけば候補作はだいたい見たことになるから(”Get Out”だけまだ見てない。あとドキュメンタリーも)。

この実話 - 94年の1月に起こったNancy Kerriganの襲撃のときはアメリカに住んでいたので、ことの成り行きもメディアの大騒ぎもぜんぶようく憶えていて、その後の展開も含めてなんじゃこりゃ? の連続で、更にその後の6月に起こったO. J. SimpsonのFord Broncoによるハイウェイ爆走と併せて、なんかすげえ国、てしみじみしたことを思い出す。(これらにもういっこ加えると、97年6月のMike Tysonの耳齧り、ていうのもあったの。 最近は豪快なやつあんまりないねえ)

(どうでもよいけど、選手の名前も現在〜ここ数年のよか、ここに出てくる名前のほうが余程きちんと憶えているのね。 バンドの名前とかと一緒か…)

現在のTonya (Margot Robbie)とex-夫のJeff (Sebastian Stan)と母のLaVona (Allison Janney)の3名にインタビューしつつ、Tonyaの幼少時から振り返っていく形で映画は進む。極貧の母一人子一人からの逆転をフィギュアに賭ける母と毒親攻撃におぼえてろよこんちくしょーで耐えつつもフィギュアの楽しさに目覚めてのしあがっていくTonya、そんな彼女を見初めて寄っていくJeffと。
アメリカ人として初のトリプルアクセルを決める瞬間までの痛快に突っ走っていくかんじの気持ちよさったらない。

ここのカメラ、超人的なスポーツであり息をのむアートとしてもあるフィギュアスケートの撮り方として、音楽の使い方も含めてなかなか画期的だと思った。(あー”Blades of Glory” (2007)のときにこれがあったらなー)

主人公たちはこのあと、昇りつめたポジションの維持のために互いにひじ鉄くらわすようになって団子状態で転がり落ちていくわけだが、それぞれがそれぞれの事情を抱えて(本人達は決してそう思っていないだろうが)ぐだぐだに悲惨なその内面には踏みこまずに、とにかく当時のヒット曲とかを行進曲みたいにじゃんじゃか流して振りかけて次に行っちゃう、その音楽の使い方がすばらしいの。まるで彼らの頭の中でもあんなふうに鳴っていたかのように。

久々に聴いてきゅんとしたのはDire Straitsの”Romeo and Juliet”。 あと、Violent Femmesの”Gone Daddy Gone”。
そして最後にできすぎじゃねえか、ていうくらいかっこよすぎて痺れるSiouxsie and the Bansheesの”The Passenger”。

まあ本人たちが現在に至るまでこれぽっちも反省していない - カモ〜ン? ていうのが大きくて、その内容にも関わらず不思議と元気を貰える作品になっているのはよいこと、としよう。

Margot Robbieの狂気すれすれのところで爆発を繰り返すアメリカンあばずれっぷり(”Suicide Squad”のHarley Quinnの田舎版、とか言わないこと)は見事だし、オスカーを獲ったAllison Janneyの爬虫類のように揺るがないくそババアっぷりもすごい。それにしても今年の助演賞には男女共に強烈どSキャラが輝いた、ていうのはなんなのかしらねー。

これと同じようなやつがニッポン相撲界を舞台に作られることを望む。 
タイトルは“I, xxx”じゃなくて、”We, xxx” になるの。 やーねー。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。