9.19.2017

[film] Petulia (1968)

6日の水曜日の晩、BFIで見ました。
この時にBFIでは"Transformation and Tradition in 1960s British Cinema"ていうコンファレンスが開かれていて、その一環でご参考として上映されたもの。 上映前にUniversity of East AngliaのMelanie Williamsさんから簡単なイントロがあった。

Richard Lesterの最高傑作であり、当時の英国映画(舞台はSummer of Love - 67のSan Franciscoだが)の頂点としても位置付けられる、と。 撮影のNicolas Roegは彼のその後の自作品で多用することになるFlash-back/Flash-forwardの手法を転がしたり確かめたりを始めた作品でもあり、音楽はJohn Barryの他になぜかJanis Joplin (with Big Brother and the Holding Company)とかthe Grateful Deadのライブ映像まで見れてしまう、そういう珍しさもあるし、とにかく貴重なので見てね、と。

邦題は『華やかな情事』だって..

Petulia Danner (Julie Christie)は土地の社交界ではセレブで、お金持ちの新進建築家 - でもDV野郎で頭悪そう - の夫David(Richard Chamberlain)がいて、華やかな生活を送っているのに医者のArchie (George C. Scott - 前日の"The Changiling"に続いて二日連続になった)に惹かれて、彼も前妻との間に子供がいるのだが、彼女にずるずると惹かれていって、くっついたり離れたり修羅場だったり安らぎだったりがゆるゆるの67年のSan Franciscoで繰り広げられて、最終的になにがどうなったか、どういうことだったのか、などはあんま明確にならないのだが、あれはSummer of Loveの夢みたいなものだったのかしら、のようにして終わる。

ストーリーとしてはあんま締まりのないふうなのだが、一切の説明なし、時系列無視で繋げられて重ねられたりジャンプしたりしていく個々のエピソードやイメージが強引で不規則で、でもそれらの流れやうねりがPetuliaやArchieの理由のない欲動の波や塊、その点火とか呼び覚ましとかにうまく呼応して不思議な情景を生んでいる。 今だとたぶん誰かがロマンポルノなんかでやっていそうなかんじではあるが。

Julie Christieのどこか満たされない人妻のなにをやってもどこかから遊離していくしょうもないかんじも、George C. Scottの絶えずなにかを探し求めていて、でも追いきれない無力さに絶望している表情も、その絡みあいや追っかけあいがとにかくすばらしくていくらでも見ていられて、ただその背景をSan Franciscoにしたのはどうだったのか、"Don't Look Now" (1973) - 『赤い影』のようにVenetiaに持ってきたらどんなふうに見えたのだろうか、とか。

あと、Petuliaの義父として出てくるJoseph Cottenのものすごく冷たくてどこをどう押しても揺るがないかんじの貫禄とか。

あと、やや唐突にコラージュのように現れるJanis JoplinやJerry Garciaのぎんぎんでやばくてちんぴらなかんじ。 今見るとおおー!なのだが当時の英国からはどんなふうに見えたのかしらん。

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