8.31.2017

[art] House Style

ファッション関係の展示ふたつを纏めて。

Diana: Her Fashion Story

20日の日曜日にKensington Palaceでみました。  前売りチケットの人気がびっくりで、5月頃に取っても週末はここくらいしか空きがなかった。
Kensington Palaceは週末の買い出しにWhole Foodsとかに行くときの途中にあって、朝に変てこな花とか植物を眺めたり、寄ってくるリスをからかったり、池にいっぱいいるでっかい鳥類を眺めたり、いろんな寛ぐ犬を眺めたり、寛ぐ犬と一緒にほんわか和んでいる人々を眺めたり、要するに週末のいいなー、がぜんぶあるような、そんな場所なのだが、そこの端っこに建っている建物についてはあんま関心がなくて、でも彼女はかつてここで暮らしたことがあって、その館で展示があったの。

Kensington Palace内の階段をゆるりと回って2階の端が会場で、いろんなひとのコメントとか、かつてどこかで見た気がする彼女のいろんな場面で着ていた服の数々と、それらを着ている彼女の写真が並んでいる。
服はCatherine WalkerとかValentinoとかDiorとか、写真はLord SnowdonとかMario Testinoとかの決定版ばかり。

それらの服って、誰それがデザインした、どういう仕様や意匠の服で、それがどんなに綺麗で素敵か、といったことよりも、彼女があの時に着ていた服、として写真やメディアを通して我々の記憶に並んでいたもので、そこから切り離されて服だけがぽつぽつとあるのは変なかんじだった。 "Her Fashion Story"を語るのはここに並べられた服 - その並びや順番 - ではなく、それらが呼び覚ます我々の記憶とその点々が結ばれていくことに他ならなくて、例えば(そういうことになったことってないのだが)故人のワードローブを棚卸するってこんなかんじなのだろうか、とか。

80年代の英国の文化、特に音楽に浸かっていたものとして、彼女の存在は当然無視することができないものだったが、例えばサッチャーのように大文字の敵として前に出てくることはなくて、今みたいに「セレブ」なんて言い方もなくて、ただぼわーっと広がる英国への憧れの日なたの部分(悪い言い方をするとおめでたい、バカな部分)を柔らかく代表するような存在として彼女は輝いていて、お慕いする、というほどのものではなかったけど、少なくとも嫌いではなかった。 彼女のような人がいなかったら、当時の自分にとっての英国のイメージがどんなものになっていたのか、あまり想像がつかない。

20年前の今日(8月31日)は、まだ米国に住んでいて、夜の8時くらいに彼女が事故にあったというニュースが入って、ずっとはらはらしていたら夜遅くになってニュースキャスター(たしかCBSだった)がやや暗い声で「死亡が確認されました」と伝えた瞬間。 未だにはっきりと憶えている。

Kensington Palaceの他の箇所も見て回って、外に出ると彼女を追悼するお庭 - White Garden - が作ってあって、池のまわりに白とクリーム系を中心としたいろんな花が楽園のように咲き乱れていて「わーきれい」しかないのだった。

20年間、ここまで安らかに眠れただろうか? これからもどうか安らかに休まれますよう -


House Style: Five Centuries of Fashion at Chatsworth
https://www.chatsworth.org/events/house-style/

ロンドンに着いてしばらくの間、3月頃に地下鉄にこれの広告が貼ってあって、これは行かねばと思っていて、でも広告自体はいつの間にか消えちゃったので忘れないように忘れないように、と思っていたやつにようやく行くことができた。

会場のChatsworth Houseていうのは、16世紀に建てられたDuke of Devonshire - デヴォンシャー公爵の本邸 - カントリーハウスで、映画の『高慢と偏見』(2005)のロケ地にもなっていて、ロンドンからは電車で2時間半くらい行ってから、バス(近くまで行くのは日曜しか運行してない)で30分くらいの、要するに行くとなったらいちんち潰す覚悟で行く必要がある。 8月27日の日曜日、3連休のまんなかに行った。 天気はすばらしくよい(おそらく最後の)夏日。

電車がSheffieldの手前、Chesterfieldの駅に着いたのが12時過ぎで、バスは1時間おきで12時に出たばかりだったので、タクシーにした。でっかい建物のエントランス入ったらすぐ横に展示が広がっている、というか建物まるごと展示ブツ。

展示はPrincipal sponsorがGUCCIで、いくつかのMajor sponsorsのひとつがSotheby'sで、キュレーションはAmerican VogueのHamish Bowlesで、Chatsworthの倉庫に眠ったり散在したりしていた約5世紀に渡るいろんなドレスとかお飾りとかをお蔵出しして、かつてそれを纏っていたであろうキャベンディッシュ家の人々 - 特にアイコンだったり伝説だったりする女性たちの肖像にまで遡って、それだけに留まらず最近のデザイナーの作品も繋いで並べて、これが単なる骨董品なんかではない、ひと連なりとなったヨーロッパ貴族職人芸の流れと共にあることを示す。

というようなことが事前の情報としてあったわけだが、あそこまで規模のでっかいものだとは思わなかった。
ついこないだのKensington Palaceのイメージがあったせいかもしれないが、あれとは戸建て住宅とお城くらい、規模の桁がちがう。 これまで割といろんなお屋敷でこういう展示や展観を見てきたほうだと思うが、まずChartsworth House自体がでっかくて(見れるのは3階まで? 部屋数30以上)、玄関ホールの「お迎え」のかっこよさにすげー、と仰け反って圧倒されて、しばらくはお屋敷の部屋いっこいっこをふんふん見ていくかんじだったのが、だんだんに引き摺りまわされるかんじになってきて、まったく終わりが見えないので背筋が寒くなっていったりもした。
美術館まるごとぜんぶというかまるごと骨董品のデパート(売ってないけど)というか - ファッションだけではなく、絵画、写真、宝飾、化粧道具、照明具、家具に調度品、いろんな布、彫刻、文房具、銃剣、剥製、玩具、古書、などなど、館主が情をこめて集めて溜めて、というよりも500年の歳月を経て吹き溜まってしまった積みあがってしまった、という時間の脅威を見るかんじもあって、かんたんに言うと、はじめのうちはわーすごーい住んでみたいー、だったのが、(なにかが見えてしまって)ここに住んだらやばい死ぬかも.. と少し怖くなったり。

日差しが強かったので窓全面にカーテンが掛かって部屋はずっと薄淡い照明のなか展示品を見ていくことになって、そうするとキャプション読みは諦めて(オーディオガイドが正解かも)、そこの住人が見ていたような見方や視線で展示品に向き合うと、それを纏ったり使ったりしていた女性たちの像が浮かびあがってきて、それはかつてそこにいたBess of HardwickにしてもAdele Astaireにしても、たんに「強い」という形容で語られるだけの輪郭ではなくその家の陰影と共に語られるようななにかに収斂していって、それこそが"House Style"というものなんだわ、て思った。

最後のほう、図書室 〜 彫刻の間 〜 晩餐の大広間の連なり 〜 だんだんだんて来るともうお腹いっぱいでへろへろだった。
こういうのがゴシックの素地を作っていったのね、て身をもって感じた。 恐るべし田舎のお屋敷。

売店を少しみて少し買って、Rizzoriから出ている分厚いカタログはロンドンの書店でも買えたのでそっちで。

庭は屋敷と同様、異様に意味なくでっかくて、花畑があって温室があって、なだらかな丘の上から水が降りてきて、池も噴水もいっぱい、Julian Schnabelの彫刻とかもあって、見下ろす原っぱのほうには羊がぽつぽついて、庭内ツアー用の馬とかがいて、客が連れてきた犬がうじゃうじゃいるのだが、どいつもこいつも(犬なのに)貴族顔しているの。

帰りの電車が17:00発だったので実滞在は4時間くらい。 ぜんぜん足らなかった。
できればもう少し後、英国のぼうぼうざーざーに暗い陽気の時に改めて来たいかも。 更にぐったり動けなくなってそのまま地下牢とかに棄てられちゃうの。(うっとり)


London Film Festival 2017のラインナップが発表になった。
まってろ。

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