8.04.2017

[art] Rei Kawakubo / Comme des Garçons: Art of the In-Between

美術館関係をどうやって書いていくべきか、わかんないけどとりあえず書いていってみる。

29日の朝に、まずMetropolitanに行って10:00のオープンをまつ。

Irving Penn: Centennial

Metの壁の横断幕にでかでか貼ってあったのがこのExhibitionので、その写真はPennが1950年に奥さんのLisa Fonssagrives-Pennを撮った”Rochas Mermaid Dress”。
入口に彼の使っていたRolleiflex が置いてあって、そこから彼の70年に渡る全キャリアを約190枚で総括する。
ファッション写真は勿論、労働者や移民、静物、オブジェ、実験モノまでほんとにいろいろ。

元々画家志望だったせいもあるのか、いかに対象やモデルを美しくきれいに、かっこよく撮るか、ということ以上に、いかにその対象が印画紙上にその存在を、その影を、それがそこにある、ということを正確にきっちりと写し取るのか、ということに注力しているように思えた。
その点ではファッションモデルもタバコの吸い殻も同列の強度でそこにあるのだった。

動きをいかに流麗に、動きそのものとして撮るか、というテーマもあるし、その動きをもたらす軸や重心はどこにあるのかを見極めようとフレームを置く、そういうのもあって、Pennが追っているのは明らかに後者で(August Sanderとかも)、そういうのって見れば見るほどこっちも固まってしまうことになる。
ペルーの人々の存在感のすごさ、強さ、ってなんなのか、とか。

あと、彼がポートレート撮影の際に背景幕として使っていたもの - パリの古い劇場のカーテンだったという- が展示されていて、その爛れたようななんともいえないグレイの質感がよくて、写真と同じように眺めてしまうのだった。


Rei Kawakubo / Comme des Garçons: Art of the In-Between

METの今夏のファッションもの展示。
Fashion Instituteの方でやってるのかと思って行ったら反対側の西洋絵画の方だったので走って戻った。

展示会場のライティングは白で、青山のブティック(入ったことないけど)みたいに明るく見渡すことができて、フロアだけじゃなくて上の方にも並んでいて、一見お店みたいなのだが、展示されているもの個々のブツを覗きこんで、更にそのタイトルを見てみると結構戦慄する。

テーマは"Art of the In-Between"で、これだけ見れば日本的な「間」の追及かと思えないでもないが、勿論そんなんではなくて、西欧的な二項対立 - Absence/Presence, Design/Not Design, Fashion/Anti-Fashion, Model/Multiple, Then/Now, High/Low, Self/Other, Object/Subject - などなどが果てしなく生み出す分断とか融和の(無意識も含めた)ふるまいを個人の知覚触覚の一番近いところで着脱される衣服というものに適用してみたらどんなフォルムやシェイプやカラーが出てくるのかしら、ていう。

朝から晩まで、生まれてから死ぬまで、ずっと皮膚、表皮、(あるいは生殖器)の上に被さったり包んだり乗っかったりしているヒトの衣服というものは、成長とか老いとかいろんなイベントに応じたり適応したり飾りたてたり場合によっては逆らったりしながら、どんなふうにその貌を変容させていくのか、あるいはその逆に衣服のありようが、どんなふうにそれを着るひと、生、性、それを見るひとの意識や動きを縛ったり解いたりしていくのか、ていう思弁とデザインとの、あるいは思弁と欲望との、あるいはそれらと実際のブツとの、あるいはそれが置かれる空間との、いろんなIn-Between(s)とその果てしない掛け算。

例えば数年前のAlexander McQueenの回顧、あの展示内容を大ざっぱに”Primitive"と形容するのであれば、あれとの対比で"Avant-Garde"という形容を使うのはわかんなくもない。 でも個人的にはRei Kawakuboのファッションて、成り立ちと原理が明快で判りやすくて、それゆえに強い、てずっと思ってきた。 その結果として"Avant-Garde"と呼ばれてしまうのはあるのだろうけど。

なので、あーすげえかっこいいー、ばっかしだった。 これを80年代のわかりやすさ、と言ったら怒られるのかしら。

カタログと会場の詳細が描かれたExhibition Albumをふたつ買った(あわせて買うと割引で)。 Irving Pennのカタログは悩んで買うのやめて正解だった。両方買ったら重くてしんでた。

そこから上の方にのぼって11:00に開くNeue Galerie New York。

Richard Gerstl

ドイツの(分類上)プレ表現主義の画家 - 6年間の活動の後、25歳で殆どの作品や手紙を焼いて自殺してしまった彼のことはあまり知らなかったのだが、宣伝で使われているニカってかんじで笑う自画像とか青をバックにセミヌードの直立不動でこっちを睨んでいる自画像とか、ふつうこんな自画像は描かないだろやばいだろ、と思っていたらやはり相当にやばかった。
米国の美術館では初の回顧展だそう。

彼が描いた66点の絵画と8点のDrawingのうち55点が展示されていて、数はあまりないのだがどれも個々の作品がもたらす印象は強烈で、特に最後のほうの、ぼやぼやの輪郭だけになった人体とか、Schoenberg一家の塗り壁状態の肖像とか、同様に溶け崩れ始めている風景とか、なんかすごい。 Schoenbergとの交流 - 彼はSchoenbergの妻と関係を持ってそれが自殺の原因だったとされる - についてはSchoenbergの部屋がひとつあって、そこにSchoenbergの描いた自画像複数 - "Gaze" (1910) のほんものがあった- と、Gerstlの最後の作品と言われるSchoenberg夫人の顔のないヌードがあって、沢山のSchoenbergの顔と、顔のないヌードと、Schoenbergの音楽に囲まれてなんとも異様なかんじにとらわれる。 肉とか輪郭とかより、魂ってあるのかないのか、やっぱりあるように思えて、だとしたらそれはどんなふうに現されるのか、とかその辺をダイレクトにえぐってくるの。

カタログを買わないわけにはいかなくて(だってここのずっと買ってるし..)、結局重くて死にそうになりながらバスに乗って下のほうに向かった。

ここで一旦切ります。

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