8.06.2017

[art] Carol Rama: Antibodies

美術館関係の続き。 29日の土曜日の午後から。下の方におりていった。

Magnum Manifesto

BoweryのICP (International Center of Photography)での展示。
47年にRobert Capa、Henri Cartier-Bressonらによって設立されたMagnum Photosの70年を記念した回顧展で、このふたりのは勿論、Raymond Depardon, Elliott Erwitt, Joseph Koudelka, Sergio Larrain, Susan Meiselas, Martin Parr, W. Eugene Smith, Marc Riboud, Alec Soth,  Dennis Stock, といった誰もが知っている大御所の写真だけではなく、動画や本やメディアなども含めて総括している。
で、それは単に写真を並べているだけではなく、二次大戦後の(西欧を中心とした)世界や社会がどう変貌していったか、それらが彼らの目はどう映ったのかをストレートに提示していて、知っている映像も多いのだが、結構重い。世界がよい方に向かっているとはぜんぜん思えないから。

なので、眼がついほんわかしたほうを求めてしまう。
Elliott Erwittの”Louise and Kitten” (1953)とか、ね。

そういうのも含めてここ70年間の写真表現がどう世界に刺さってきたのかを俯瞰できる必見の展示。
カタログはおめでたいバカナショナリスト共をぶん殴るのにちょうどいい仕様の武器にもなりそうなやつだったが、英国でも売っていた気がするのでやめて、通りの反対側のNew Museumに入る。

土日のここは天気がよければ屋上が開放されているので、まずそこに行って、おひさしぶりぃー、てその方角の誰かに向かっていう。 そこから4階 → 3階 → 2階の順で見ていく。 展示3つ、全て女性のアーティストによるもの。

Lynette Yiadom-Boakye: Under-Song For A Cipher

b.1977の英国の画家。照明を落としたフロアで、ここには珍しく大判の油彩のみ17点が並んでいる。 描かれているのはどれもAfricansの肖像で、情報がなければとても21世紀の画家の作品には見えない。ヨーロッパの伝統的な肖像画のそれに沿っているようで、でも描かれたひとりひとりの眼差しやポーズは明らかに現代のそれで、それがわかる、というところが肝心なのかしら。

Zadie SmithがNew Yorkerに書いた論評。
http://www.newyorker.com/magazine/2017/06/19/lynette-yiadom-boakyes-imaginary-portraits

あと、美術館のこの展示のサイトにあるオーディオガイドに入っている彼女の声がすばらしく素敵なので聞いてみましょう。

Kaari Upson: Good thing you are not alone

b.1972のLAのアーティスト。「ひとりじゃないって素敵なこと」
ビデオにインスタレーションに落書きのようなドローイングに盛りだくさん、思いっきりぶちまけてやったかんじで、でもウェットじゃないので気持ちよい。
インスタレーションは、大規模通販業の配送センターらしいところに”Idiot’s xxxx”(猿でもわかるxxx)のいろんなのが山のように積まれてて、その脇で配送員の死骸(マネキン)がごろごろ…
もっとやっちゃえー、感が満載でたまんなかった。

Carol Rama: Antibodies

イタリアのCarol Rama (1918-2015)のアメリカでは過去最大級の回顧展だという。
入り口に展示されている自画像(1937)がとてもかわいらしく素朴なかんじのやつなので、気を緩めてしまうと、そこから先、30年代末から今世紀初めまで、60〜70年代に抽象に向かったのを除けば一貫して強烈な”Antibodies”な、変換すると怒涛の下ネタのオンパレードで圧倒されるのだが、こちらも清々しさがいっぱい。 おらおらおら、あんたらが求めてるのはこんなもんだこれでもくらえー、って。
とっても感銘うけたのでカタログ買った。

MOMAは30日の日曜日、”Strange Weather”見た後、Panoramaに行く前に行った。
一番見たかったのは”Maureen Gallace: Clear Day”だったのだが、これは5th AveではなくてPS1でやっていることを着いてから知ってしょんぼり。

Frank Lloyd Wright at 150: Unpacking the Archive

生きていれば150歳になるFLWのお蔵出し。こんなお蔵、いくらでもありそうなのでざーっと流しただけ。
最初のコーナーが旧帝国ホテルに関するあれこれで、あーあ、しか出てこない。こんなに美しくてかっこいいてのに、もうないんだよ。移築すればいいってもんじゃないわよ。ほんっとにさー、最近のオリンピックの浮かれ具合もいいかげんうんざりだけど、東京ってほんとに世界でいちばん美しくない都になりつつあるよね。で、みんなそれでいい、あんなのがかっこいいと思ってるんだよね。ほんとやだ。

て、最初にそういうのがぐるぐる回りだしたので、後はあまり集中できなかった。
建築は基本建ったやつを見ないと、と思っているのだが、彼の図面はどれもかっこいいねえ。

Making Space: Women Artists and Postwar Abstraction

戦後から68年頃(フェミニズムが起動された頃)までの女性アーティストの抽象表現 - 絵画、写真、彫刻、テキスタイル、セラミック、などなど - の流れを同館の収蔵品を中心に並べたもの。 これも走り抜けるかんじだったのだが。

時間軸の切りとり方とこの時間で切るとしたときに、なぜ女性なのか - この時代にプロフェッショナルとして自立する女性アーティストが(男性と比べると)より多くでてきたから - というのが美術館の説明にはあるのだが、それと個々の展示内容があまり同期していない気がした。 だってふつう、大抵の抽象表現て、そういうクロノロジカルな同期や同調をぶっこわしたり拒絶したりする方向に機能するもんじゃないの?  いや、そういうとこも含めて”Making Space”したのだ、と言われればはあそうですか、なんだけど。

美術館まわりは以上。 Brooklynも行きたかったよう。

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