8.01.2017

[music] Nine Inch Nails

NYから戻ってきました。他のPanoramaのも素晴らしかったが、こいつのために来たのだから、やはり別なんだから、先に書いておく。 30日の晩、21:20からの。

先にリリースされたEPも新曲郡も殆ど聴かない状態、"Twin Peaks"の映像も余り見ない状態で臨んだ。
事前の情報としてはAtticus Rossをライブメンバーに組み込んだということ、Bowieのカバーをやっていること、くらい。 これだけで数えて何度目かのリブート・ライブはどんなふうに見えて聴こえてくるのか。

ステージの背後には映像投影用の、ガーゼのように包帯のようにところどころ解れた大布が重なってはためき、各機材には夥しい量のテープの切れ端がこんがらがって絡みついてどうしようもない状態、ライブ直前にバンドからリリースされた写真はやはり同様にこんがらがったケーブルワイヤーの束どっさりがあり、Tシャツを買ってみれば"Add Violence"と書いてある(EPも)。 つまりは。

これまでレコーディング時の、コンソールとかモニターとかスクリーンとかの背後で隠密黒子として働いていたAtticusを表ステージに引っ張り出し、ベースは雇い入れずに Alessandro Cortiniにいいからおまえやっとけ、と押しつけて、つまりこれは総動員の即時の臨戦状態である、思いっきり、目一杯働け、音を出せ、ぶちかませ、そういうモードに入った、という理解でよろしいのか? 

なんて冷静に思えるようになったのはライブ冒頭の洪水のような轟音とその音圧にパニックになってこれはなんじゃなにが起こったのじゃとあたふたしてだいぶ後になってからで、それくらいに問答無用のとんでもないやつだった。彼らのライブは節目節目でそれなりに追っかけて(ふられたりもな)してきたつもりなのだが、それでもまだこういうことが起こるもんなのね。だからライブは止めらんないなのよね。

3日間のフェスの大トリを務める貫禄もその復活祭を最大級の歓迎をもって迎える観客に応える慎ましさも余裕もない、なぜか塹壕トンネルに篭って決死の、最後の反撃を繰り出そうとする、あっけに取られている我々を半泣きしながらタコ殴りする、なにを/なんでそこまで? と思うもののその必死さがぶちまけられる音の壁から伝わってくるので圧倒されて、なんだろうこれは?  と不思議な感触がやってくる。その繰り返し。

それでもこれは劇的な変貌を遂げた、というかんじはしなくて、ついに(うすうす解っていた)その本性をViolentに剥きだしにした、というのが正しいのではなかろうか。前作の「ためらい傷」、それに続くTension tour (2013) で自身が追求し続けてきた自虐、中毒、自壊、傷痕、腐蝕、といったテーマをひと通りなぞってみた後で、ためらっていてもしょうがねえ、と開き直って思いっきり踏みこんでみる。 そこにエスカレートしていくSMプレイの快楽やDavid Lynchふうアートの倒錯を見てもよいのだろうが、それだけだろうか?  今の「アメリカ」に対する何かがあったりはしないだろうか?

ここで彼らがカバーしたDavid Bowieの“I Can’t Give Everything Away”の冒頭のフレーズ - “I know something's very wrong - The pulse returns the prodigal sons” - 更にこの曲が参照している“A New Career in a New Town” (1977)、或いは彼らの最初の共演である”I’m Afraid of Americans” (1995)。 アメリカ(人)に対する畏れをわかっちゃいるけど再定義して、半ば諦め半ば開き直りでモグラ叩きをやっていくしかない。 もうだめかもだけど。 Blackstar -★
パーソナルな追悼という以上に、Bowieの遺作の最後の曲をおおまじで継ごうとしているのだと思った。もっとViolentな、彼の畏れたAmericansのやり方でね。

それにしても、何度でも繰り返すけど、とてつもなくぶっとく、分厚い音だった。 ライブでのAtticus Rossがあそこまで変則自在な飛び道具を用意してくるなんて想像もしていなかった。彼の電撃とIlan Rubinの爆撃、この2ピースが攻撃の軸で要で、残りの3人はその上で好き放題に引いたり押したり叩いたり - その辺の自由度と可変度は倍加していて、これがバンドとしてのNine Inch Nailsで、最後にTrentがぎこちなくメンバー紹介をしたのもそういうことなのよね。

ヤマは死ぬほどあったのだが、”Wish”とか”Reptile”の冒頭、鈍器で殴られてなにが起こったんだかわからなくなるような真っ白の瞬間がたまんなくて、あれはクセになるとおもった。
ヴィジュアルは一部過去の再利用しているのもあったものの、殆どがモノクロの塹壕のなかを小型カメラを持ちこんで撮ったような生々しいやつで、でもそれで十分だった。音に集中しろ、と。

Trentはタンバリンを死ぬほどぶっ叩いていたし、トラメガで怒鳴りまくっていた。 ご機嫌であった。

月曜日に発表になったWebster Hallのはさー。 予知能力があったら一泊延ばしていたのに、そしたらあの小屋にお別れもできたのに、ホテルまで歩いて3分だったのに。ちぇ。

Londonにもきてね。

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