3.10.2017

[art] Queer city: London club culture 1918 - 1967

5日の日曜日の昼、お散歩がてら観光ツアーに参加してみる。

https://www.nationaltrust.org.uk/queer-city-london

英国のNational Trust - 正式名称は"National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty"とNational Archives - イギリス国立公文書館 - が主催の、要するにちゃんとした団体がやっているやつ。 朝まで雨が降っててものすごく寒かったがツアーの間の90分、雨はこなかった。

集合場所を間違ってツアーの終点ポイントに行ってしまったら、丁度ガイドのおじさんがこれから起点ポイントまで歩いていくので一緒に行こうと連れてってくれた。
起点の集合場所は、最強の鼻歌 - Kirsty MacCollのタイトルでもある"SOHO Square"で、あああの歌の場所に行くんだわ、とどきどきしていたら本屋にいくときにいつも通っているただの公園 - 公園にはこの歌のベンチがあるって、今度見なきゃ - なのだった。 よくある。 16世紀まではふつうの農園だったそうな。 New YorkのSOHOとは関係あるの? て無邪気に聞いたら「まったくないね」と即座にばっさり。

参加者は12名、大人数になるといろいろ面倒 - 公園で説明している横で酔っ払いがわあわあくだまいてたし - になる可能性もあるのでこの数にしているそう、で、ここからSOHOのいろんなLGBTQ+ に関わる歴史上の建物、路地、痕跡などなどを辿り、そこで起こった数々の、多くは警察などによる痛ましい弾圧と迫害の歴史を追っていく、というツアー。 自分にとってのこのエリアは本屋のFoylesと映画館のCurzon SOHOで、映画のあと - 多くは22時過ぎ - の晩ご飯を求めてひとり彷徨う土地なのだが、ものすごくおいしそうなお店がいっぱいあるのでいつも途方に暮れる、そういうとこ。 NYでいうとChristopher street界隈、というかんじなのだろうが、あそこまで露骨に表に出しているわけではなく、表面上はふつうの飲食店街のようになっている。このへんを単純にお国柄、みたいに言ってしまってよのか、あるいはそんなに隠れなければならないほどやばかった、ということなのか。

というわけで普段頻繁に右往左往している場所をいったりきたりして、その多くはドアの奥/壁の向こう闇の酒場だったり出会いの場だったり警察が踏みこんで事件になったところ、爆破されて事件になったところ、闇の女王や大王が潜んでいたところ、などなど。 いろんな言葉も教えてくれてとっても勉強になる。CottageとかShim Shamとか。

いっこだけ少しびっくりしたのは、2月の終わり、映画の帰りにいろんなレストランが閉まりかけて泣きそうになっていたとき、たまたま入ってカウンターで食事させてくれたDucksoupていう萎びたお店 - 入口にレコードプレイヤーがあってアナログが放置状態で回っていて、豚バラのローストとラディッキオとルバーブのガレットがすんばらしかった - ここが実は、1948年にMuriel BelcherがオープンしてFrancis Baconが根城にし、Peter O'TooleやLucian Freudが頻繁に訪れ、90年代にはLisa Stansfieldなんかも歌ったりしていた伝説の - 伝説っていうのは正しくこういうやつよ- The Colony Roomがあったところなんだって聞いて。 ああ、きっとなんかが呼んだんだわ。 £1,000で出ているFrancis Bacon: Catalogue Raisonne、買うべきなのだろうか(ずっと悩みちゅう)。

あとはしょっちゅう警察のガサ入れがあったのでいろいろ隠れる/隠す仕組みとか、隠れキリシタンじゃないけど、ついこないだまで大変な時代があったんだねえ、ていうのとか、女性のレスビアンは割と表に出てこなかったとか、そういうのもおもしろかった。 街頭のポールに刻まれたシャネルのマークの秘密とか。

そういうのをめぐりながら終点のFreud Café-Barに着いて、ここには30年代、The Caravanていう伝説のクラブがあって、それをNational Archiveが当時の記録や図面、写真を元にインテリアに茶器や燭台まできちんと再現・復元していて、勝手に座ったり見たり寛いだりしてよいの。 机の上には当時の警察の調書とか記録がいっぱいあって、あと突然のガサ入れのときの裏口とか。 壁際のソファの座り心地とか光が射しこんでカーテンにはねるかんじとか - 夜はぜんぜん違うのだろうが、どれくらい騒がしかったのか、どんな音楽が流れていたのか、誰が泣いて誰が笑ったのか、ここは愛の天国で地獄で終着駅だったんだねえ、とかいろんなことをおもった。

90分で50年間の抑圧と血と涙の歴史をてんてんで辿りつつ、しみじみ愛というのは変でいびつで、でもこんなふうにくっきりと痕を残すのよね、それを別のかたちの愛が40年くらいかけて掬いあげて救いだすんだわ、とか。 これこそが政治と愛のリアルな戦いの歴史で、それは間違いなくまだ続いているのだからこういうツアーで歴史を知っとくのは本当に大事なことなの。

このツアーの夜中篇で、ここでお酒を飲んだりするのもあるのだが、こっちは大人気らしくもう売り切れている。

あと、相当とろいのかもしれないが、今回少し歩いてみて、SOHOを中心にCovent GardenとかTottenham Court RoadとかLeicester SquareとかHolbornとか地下鉄駅の点でしかなかったそれぞれの場所が結ばれて自分のあたまのなかでいちまいの地図として広がりはじめた。 気がする。
この過程がいちばん楽しくて気持ちよいの。トンネルの向こう側とこっち側がつながっていくかんじが。

あと、4日の夕方、This is Not This Heatの前、Whitechapel Galleryで見た展覧会。

Eduardo Paolozzi

英国(スコットランド)を代表する彫刻家、ポップアートのひとの回顧展。
Paul McCartney and Wingsの“Red Rose Speedway”のジャケットとかで有名ね。
まわっていて、それなりに面白いのだが、アメリカのポップアートに慣れ親しんできた目からすると「ポップ」の定義もいろいろで違うもんだねえ、と。 抽象芸術全般に言えるのかもしれないけど、アメリカのそれと日本のとイギリスのとは、それぞれぜんぶ違う。例えば「国」という単位で括れてしまうものなのか?  たぶんイエスで、ポップでも抽象でも概念的には地域性を超えうるもののように思いがちだけど、逆なのだなあ、と英国的な弾力感に包まれつつ、思ったりした。

Terrains of the Body: Photography from the National Museum of Women in the Arts


17名の(女性? たぶん)アーティストは写真の平面や陰影や肌理を介してBodyの地勢、地形、地域性をどう表現するのか/しようとしてきたのか。 参加しているのは知っているとこだと、Marina Abramović, Rineke Dijkstra, Anna Gaskell, Nan Goldin, Candida Höfer, Kirsten Justesenなどなど。 どれもとっても清々しいかんじ(よい意味で)がするのは気のせい?

Guerrilla Girls: Is it even worse in Europe?

Guerrilla Girlsがヨーロッパのアート関係の施設・機関の383人のディレクター達に収蔵している作品や展覧会企画などについての質問票を送って、フェミニズムの観点からどれくらいジェンダーレスのほうに歩んでいるのかを見てみた、その結果が回答の実物ペーパーとあわせてべたべた展示されてて、それがつまり”Is it even worse in Europe?”  てことなの。 あるいみ痛快なんだけど、日本で同じのやってみてよ。きっと唖然呆然だよ。

Whitechapel GalleryからRough Trade EastまでのBrick Laneの通りのお散歩がとっても好きになりつつあるとこ。

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