8.22.2016

[film] Sausage Party (2016)

日曜日の昼にJFKでいつもみたいにグチを書いていたときにはそんなことになるとは思ってもいなかったし、機内に入ってからもおなじだったのだが、飛行機がゲートを離れて暫くしたらぜんぜん動かなくなって、そのうちアナウンスが入って、カナダ上空に悪天候があって、別の経路を示されたのだがそれだと燃料が足らなくなるので別の経路の承認を待っている、という。 結局ゲートまで戻ってエンジン止めて改めて補給して、4時間以上。 少しお昼寝とかもしたのだが、機内で、なんもしない/できない状態で4時間。4時間あったらマンハッタンまで戻っても映画1本見れるし、美術館だったら3軒はまわれるし、ちゃんとしたランチだって行けるし。 通り雨もあったり、あんな気持ちよい夏の土曜日の昼間、4時間あったらさあああ(泣)。 成田についたのは20時過ぎで、台風前の湿気でべったべたで、今朝は低気圧で目まいがひどくて、もう今週はなんもやるきなしで機能停止。

というような理不尽なことが世の中にはいっぱいあって、この映画もそういうたぐいの変なやつ。

18日木曜日の晩22:50からKips BayのLoewsでみました。 なんとしても見たかったの。
ウインナー(犬)の次はソーセージ。 

スーパーマーケットで売られている食品たち - 一部そうじゃないのもあり - がわいわい楽しく暮らしてて、カートに入れられて(買われて)わーい、て喜んでみるのだが、その先になにが待っていたかというと、仲間が切られる裂かれる割かれる潰される砕かれる、などなど、彼らにしてみれば阿鼻叫喚のスプラッター地獄で、いったい自分たちはなんのためにいるのか、て存在の問いに直面して、とにかく戦おう、みたいになってみんなで逆襲していくの。

ディズニーのアニメがおもちゃとか車とか虫とか魚とか身の回りの物言わぬかわいいあれこれに(勝手に)人間の言葉とかエモを乗っけてドラマにしてしまうやり口をヒトの食べものに適用してみたらどうなっちゃうのか、ていうSeth Rogenのアイデアがおおもとらしいが、それにしても、なんでソーセージが主人公なのか、ホットドッグのバンズがその恋人になるのか、なんで最後にあんなことになっちゃうのか、はぜんぜんわかんない。 あたまおかしいんじゃないか(← ほめています)

たぶん、これはR指定にならざるを得ないな → どうせR指定なんだったらやれるとこまで(やれることを)やっちゃえ、程度のノリなのだとおもう。
これ、"This is the End" (2013) とも似ていて、あれは終末アルマゲドンが身近な友人たちに降りかかってきたらどうなっちゃうのか? が発端だった。 身近なところから考えてみてそれを膨らませていく、ていうのはすばらしいと思うのだが、Seth Rogenの場合、いまの映画やアニメのありかたに根源的な不満、というか異議がすごくあるのではないか、と思っている。 でなきゃあんなこまこま精緻かつ壮大な物語を作ったり捏ねたりできるものだろうか。 ていうのと、もういっこ、それとは別に快楽とは、快楽の追求とは、ていうのも彼のひとつのテーマとしてある。 酩酊らりらり状態をどこまで映画で表現できるのか、とか。
  
"Toy Story"の場合にはやがて忘れ去られてしまうおもちゃ = おもちゃの死みたいなテーマはあって、それは子供の成長とセットになった不可避の、普遍の物語としてみんなの涙を誘ったりしたわけだが、こんどのは何が背後にあるのかというと、にんげんだれもがもっている欲望 - なかでも食欲で、なのでしょうがないと言えばしょうがないのだが、他方で食べもの観点ではてめえみたいなやつの餌食になってたまるかよ、ていうのもあって、そういうやつはだっきん、と。

なんでそういうことをつらつら考えてしまったりするのかというと、相当へんてこな映画だからで、繰り返しになるが、なんでソーセージが直立して喋ったり騒いだりするのか、ベーグルは、トルティーヤは、とか、なんでみんな英語なのか、でも訛りあるよね、とか、いろんなことを考えれば考えるほどバカらしく思えてきて、笑うしかないから。 ダークでもブラックでもない、ただただバカみたいにおかしいの。 なんだよそれありえねえだろ、って。

声優陣はいつもながらにさすがで豪華で、それぞれの顔を思い浮かべてみると2度おいしい。

音楽も定番含めいろいろ流れるのだが、Meat Loafのところは思いっきりふいた。

日本で同じことやるのだとしたら寿司ネタ、おでんネタあたりだとおもしろくなるのでは。
どっちにしても子供にはぜったい見せることはできないの。

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