8.10.2016

[film] Hollywood Banker (2014)

7月29日の金曜日の晩、渋谷でみました。『ハリウッドがひれ伏した銀行マン』。

"Superman"、"Terminator"、"Platoon"、Paul Verhoevenのいろんなの、Golan & GlobusのCannon Films - 80年代、もしこれらのB級活劇映画が作られていなかったら? たぶんどうにもなっていなかった or どうにかなっていたとは思うけど、でも、今の映画のありようは随分違ったものになっていたのではないか。 ということを考えてしまったのは、これらの映画はすべてひとりの銀行家の破天荒な融資によって可能となっていた、ということをこのドキュメンタリーを通して知ったから。

オランダの銀行家 - Frans J AfmanがDino De Laurentiisとかと組んで一緒にいろんな映画への投資を始めて、それはアイデアはあるけどお金がなくて困っていた若い映画監督たちにとっての救いとなって、彼のオフィスの前には長い列ができて、映画のなかでは実際にあのときFransがいなかったら、という感謝の言葉が今は大御所になっている監督たち自身から語られて、その言葉にはまったく嘘はないようで、だからよかったよねえ、という。 でも貸したお金って、ぜんぶちゃんと回収できたの?

むかし、Golan & Globusのトークを聞いたとき(そういえばCannonのドキュメンタリー見逃した)、こいつらの資金源はなんなのかしら? と、Globusのほうは確かに真面目そうな事務方ぽかったので彼のほうによほど強力ななにかがあるのか、とか、いやそれにしても、であるとしたら、なんであんなに簡単に潰れちゃったのか、とか疑問はいろいろあって、その辺の事情がすべてわかってしまった。

資金調達のルートが変わった、それだけでFransがサポートしていたような映画は市場からきれいあっさり消えてしまった。 なんて脆いことか、ていうのと、それ以外にもいろんなことを考える。
大上段に、映画はだれのものか、ていう議論もあるだろうし、この頃と比べて、今の映画って - 製作者側観客側それぞれから見て - どうなんだろうか、良くなっているのか悪くなっているのか、とか。

銀行がお金を出すにしても、いろんな規制だのコンプライアンスだのが厳しくなってしまったのでFransのようにいきなり現れた若者の顔をみて信用ベースでぽん、て金を出すなんて今はとてもできなくなって、資金調達は収益予測からリスク分析からクラウドの適用まで含めてものすごくクリーンに着実に管理・可視化されるようになって、それがデジタル化やモバイル化の流れのなかで、映画のテーマや中味にどう影響してきているのか。 なんてぜーんぜん興味ないんだけど。

なんとなく最近のって小ぎれいだけど小ぶりでデスクトップで作ったみたいでなんかつまんなくないか、でもそれってインディー系だけの話じゃなくて邦画なんかメジャーでもクソみたいのばっかじゃねえか。

といった議論もあるだろうし、でも、Fransがお金を出した80年代のだって、相当ひどいやつもいーっぱいあったよね、とか。 

いっこあるのは、Fransがお金出したような映画って、結果的にそうなっただけかも知れないけど、むさい男の、野郎の、ガキの、映画秘宝系、みたいな映画ばっかりではないか、と。
これってどういうことなのか、というのは少し思ったり。

改めて映画って産業なんだなあ、と。 80年代、その産業を強烈にドライブしたのが彼のような個人で、今そういうのをドライブするのは ... 代理店? いったい何の、誰の代理なんだよ? っていう。

最初に戻ると、もし彼がいなかったら、という議論は不毛なのでやめて、彼がいてくれてほんとうによかったありがとう、ていうしかない。 彼が病気になって先が長くないことを知ったときにカメラを手にした彼の娘さんの思いの強さが最後には残るのだった。

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