10.11.2011

[film] We Can't Go Home Again (1972-2011)

2日の日曜日の3本目。 夜9時から。 チケットは滞在が延びてすぐに取った。
昨年と同様、illy'sのエスプレッソ(タダ)の屋台が出ていた。うれしい。

Tokyo Filmexでもやることはわかっていたが、一刻もはやく見たくて。
当日券もいっぱい出てた。前のほうはがらがら。

リストレーションが完了して、生誕100周年の今年、ベネチアで新装お披露目されたNicholas Rayの遺作。 (後のQ&Aでも補足があったが、ずっと上映がなかったというのは間違いで、数年前のMOMAのレトロスペクティブでも上映されたし、機会は割とあった、ただレストレーションに時間が掛っていただけ、と)

上映前に未亡人のSusan Rayさんが登場して、Nicholas Rayがこの映画で狙っていたこと、等を簡単に紹介する。 従来の映画の形式とは異なるフレームを導入すること、それによって複数のViewや複合的な効果をもたらすこと、更にこれをJournalisticな映画、として実現すること、などなど。

ちょっとよかったのが、この映画の共同制作者達です(The creature of the night, と呼ばれていたそう)、と紹介された人たちが客席のあちこちで立ち上がったところ。 もちろん、みんなもう学生ではなくて、それぞれにはげたり太ったりしなびたりしているのだが、なかなかよい光景だった。

冒頭のタイトル、"We Can't Go Home Again"と出たあとで、”by US”と。

内容は実験的なところも多いので見て頂くしかない、というものなのだが、映画の教師としてやってきたRayが、生意気な学生に、あー理由なき反抗のひとね、とか言われつつ一緒に映画を作っていく、その過程と、作られた映像と、当時のニュース映像、などが、Rayの独眼、ではなく複眼で綴られていく。

エンドロールのThanksに名前のあった Nam June Paikのvideo synthesizerの技術も使われている。

そして最後のほうは殆どRayの遺言のような。 "I was interrupted"の一言も聞こえる。
なぜHomeに戻ることはできないのか。 Homeはどこにあるのか。

あっというまの93分でした。 72年から2011年まで、Rayとその共同制作者たちが映画というメディウムにぶちこもうとしていた、捕えようとしていた当時のアメリカの光景が半端ない情報量と手仕事で展開されている。

そして、この意思を継いだヴェンダースが、デジタルを経て3Dに向かうのは当然のことでもあるのね。

上映後のQ&Aの質問で印象深かったのは、「なぜNicholas Rayは最後にこんな実験的な作品に向かったのでしょうか?」という質問に対して、Susanさんが「あら、彼は"They Live By Night"の頃からずっと実験的だったのよ」とこともなげに答えていたこと。

あと、「映画に出ていた若者たちはその後どうなったの?」という質問には、客席から"We are grown up!" - "some of..."(笑) とか。 その詳細についてはSusan Ray監督による"Don’t Expect Too Much" (2011)のほうを見てくださいね、ということでした。

NYFF、まだ続いていますが、昨晩突然発表されたSecret Screening, Scorseseの"HUGO"だったのね。  いいなー。

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