10.08.2011

[film] The Last Picture Show (1971)

日本に戻りました。まだぜんぜんだめ。

先週の土曜日(1日)の映画2本目。

"Restless"の後で、外にでたら雨で、でもRestlessだから、もう時間ないから、ということでWilliamsburgに向かいレコード屋をあさった。 けど、あんまなかったので買わなかった。 "Pretty Hate Machine"のアナログのオリジナルを$25で売っていたが、今更ねえ。

で、再びマンハッタンに戻り、Film Forumで、この映画をみました。
40周年記念でNew Printが焼かれて、1週間上映される。

予告でゴダールの"Weekend"がかかる。 これもNew Printで。 しみじみかっこいい。

"The Last Picture Show"はWalter Readeでも2回くらい見ていて、何回見ても好きだし、素敵だとおもう。 
そういう人が多いのか、席は結構埋まっていた。 (しおれた年寄りばっかりだけど)

モノクロ、暗めのぼうぼうした画面の上でうだうだと吹き溜まっている人たち、若者たちを、同じようにぱっとしないまま、抗うこともあらぶることもなく静かに廃れていく街とか道路をまっすぐに描く。

男の子たちは、Timothy BottomsにSam BottomsにJeff BridgesにRandy Quaidに... 要はぜんぜんぱっとしない、女の子のほうも、Cybill Shepherdで、むちむちで、わるいけどものすごくきれい、というかんじではなくて、彼らが放課後、というか、学校の外でぐだぐだしているだけのおはなし。

大人もBen Johnsonの他に、いろんな女の人たち - それぞれに強い印象を残す -、 みんな崩れかけて滅びるのを待つだけ、みたいな、でも後悔も逆恨みもじたばたもしない。 ただそこにいて、たまにぶつぶつ言ったり、泣いたり、その程度で、でもそんなふうだよね、という世界。Wasteland.

その情景がまるごとLast Picture Showとして沈みこんでいく光のなかにあって、それを上映する映画館もまるごと闇に向かって畳みこまれていくような、でも、それでも人たちは生きていくし、生活は続いていく、そんな二律背反のなかにある時間。 その軽さ、あるいは重さ。

終わって、脚本のLarry McMurtryさんのところで拍手がおこる。これはいつものこと。
エンドロールのRandy Quaidのところで笑いがおこる。これもいつものこと。

しかし、Jeff Bridgesがこの40年後に"Crazy Heart"になったり"True Grit"になったりするのは興味深いことだねえ。

"The Grapes of Wrath"(1940)の流れに連なるほんとうに偉大なアメリカ映画のいっぽん、だと改めておもった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。