11.10.2010

[film] The Tin Drum (1979/2010)

朝いちでMOMAにチケット取りにいったのがこれ。 

『ブリキの太鼓』をデジタル・リストアして未公開カットを25分追加したDirector's Cut版。

なんで今頃?については上映前に監督のVolker Schlondorff が昨年、どっかの倉庫から79年の公開時にカットした部分がでてきて、いるか?と言われたので、いる!と答えて、それらは本来のスクリプトにあったやつだったので、それに従って復元したのだ、といってた。

だから"Director's Cut"というよりは、これが本来あるべきだった映画の姿なので、そういうふうに観てね、と。

『ブリキの太鼓』は公開時、高校1年か2年かの頃に、2~3回は見たとおもう。

当時、『地獄の黙示録』で戦争の狂気と熱風を、『ブリキの太鼓』で戦争の不条理と冷気を学んだ子供は多かったのではないか。 ポーランド郵便局の攻防とかも、この映画で知ったのだった。

あれからもう30年。 なのかあ・・・

自ら成長を止めたOskarの時間と、彼の周囲の人々の、ぐだぐだに巻きこまれて流されていった時間、ここで対比されたふたつの時間が、30年の時を経てぐんにゃりと目の前で展開される。

時間も成長(身体のだよ)も止められなかった。 当時は最終兵器ノストラダムスさんに期待していたのだが、結局なんも起こらなかった。 911がおこった。イラク戦争もおこった。

それは、映画の最後で成長を - 老いて死ぬことを受け入れることを決めたOskarのその後とおなじような軌跡をたどっているのか - 違ったものになっているのか、だれも知りようがない。

そういう、知りようがないかたちで流れていくそれぞれの時間、その多様なありよう -みたいなものを教えてくれたのは、例えば映画の最後にぼこぼこと広がっているじゃがいも畑、だったりしたのである。

そして、あの乾いた、耳ざわりな太鼓の音はじゃがいも畑の上空でかんかん鳴っているのだった。
当時聴いていた音楽を改めて聴くときのあのかんじと同じように、呼び覚まされるものはたしかにあった。

この映画が今の時代の若者にどんなふうに受け止められるのか、よくわからん。
とにかく子供を大切にしようの時節柄、オクラホマかどっかであったみたいに児童ポルノ扱いされてしまうのかもしれない。 でもそういう時と場所でこそ、Oskarのあの青く冷たいまなざしはまっすぐにこちらを向いて刺さってくるはずではないか。

あと、監督が言っていたことで、誰もが聞いてくる質問: Oskarくんはその後どうなっちゃったの? については、彼は立派に(物理的にも)大きくなって、劇団でシェイクスピアとかをやっているそうです。
ちゃんと成長しちゃったんだね。

今回の新バージョンで追加された箇所については、"Apocalypse Now Redux"みたいに明確に判るかんじではなくて、たぶんここかなー、くらいでした。 

なんにしても、164分はあっというま。

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