11.23.2010

[film] The Cry of Jazz + Pull My Daisy (1959)

日曜日、BAMの劇場を出たらもう暗くて、どうしようかなあ、だったのだが、Anthology Film Archivesでもうひとつだけ見て帰ることにした。

その前にOther Musicに寄って、7inchいちまいだけ買った。
Sharon Van Ettenの新しいの。

”The Cry of Jazz” (1959)は、Anthology Film Archivesがリストアして、3日間だけ上映してて、この日曜が最終日。

34分と短いフィルムなので、間に監督とのQ&Aと、併映でもういっぽん。

パーティの場で、白人と黒人が議論してて、ぼんくらぽい白人のおんなのこの「Jazzってロックンロールのことでしょ?」とかいう発言をきっかけに、いやいやそうじゃないんだよ、Jazzっていうのはね、と始まる議論。

Jazzはどこからきて、どこに行くのか、JazzはなんでAfrican-Americanのものといえるのか、などなどを語り、だって白人だってJazzをプレイするじゃん、逆差別じゃん、とかいうつっこみを潰しながら、Jazz原理主義、みたいなマニフェストにまで行ってしまう。

実際のシカゴのAfrican-Americanの生活のドキュメンタリーを絡めつつ、この音楽とその形式が、如何に彼らの自由と抑圧を巡る歴史(奴隷として連れてこられたあたりからの)と密に結びついているのか、きたのかを明確に語ろうとする。 

はっきりと語りたいことがあるが故にこの映像を作りました、という態度は明白で、短い時間でそれは簡潔に纏められていると思った。 それが59年という時点で、African-Americanの当事者の発言として出てきたところはすごいし、この監督はそれ以降映画を一本も撮っていないところも潔いし。

でも難しいよねえ、と上映後の監督(Edward Blandさん)とのQ&Aを聞いてておもった。

それは音楽と社会との関係を語ることの難しさであり、更には音楽を言葉で語ることの限界にまで行ってしまうような気がした。 作者の依っているところの前提(1959 or ?)と我々が依っているところのそれ、の差異もはっきりとでる。

例えば、黒人の大統領が登場した今、この映画で語られているようなメッセージはいまだに有効なのでしょうか? というような質問に対して、監督は「そんなのしらない」という。
監督がこの映画で描いたのはJazzという音楽のことであり、質問者が訊いたのは社会のことだから。
そんなような両者の(思い)違いがえんえんとつづくQ&A。

音楽を作る側、受け入れる側、プロデューサー、それをプロモートして売る側、「作者」とは誰か、楽器の編成、アレンジ、サンプリング、Funkやヒップホップ、歌詞、地域やコミュニティのちがい、時代とか時間軸、アーティスト個人、マーケティング、コマーシャリズム、これら膨大な量の可変値から、ラジオをチューニングしていくみたいにひとつのクリアな音像に、交換可能なイメージに辿りつくまでに、たぶん、ものすごい時間がかかる。 それだけで1冊の本がいる。

それにしてもなあ、と。
Jazzは、59年の時点で、ここまで明確なヴィジョンやテーゼを立てられるだけの思想としての強さがあったのだなあ。
アーティストやリスナーの9割はそんなの気にしていないにせよ、これはこれですごいなあ、って。

でもねえー。
そうやって感嘆する反面、ものすごく排他的な、わかんないやつはくんな!的ななにかを感じてしまったことも確かなの。 JazzとかJazz喫茶のそういうとこって、苦手だなあ、とあらためて。
もちろん、あらゆる思想なんてそんなもんであろうし、Rockだっておんなじようにひどいとこはひどいわけであるが。

で、Q&Aのあと、併映の”Pull My Daisy”
先の映画と同じ年に、Robert Frankその他によって撮られたビート・コミュニティのドキュメンタリー、というか寸劇。 

ナレーション(台詞なしでナレーションのみ)はJack Kerouac。 Allen Ginsbergその他友人一同が出演。

このふたつ、並べて見るとすばらしくおもしろい。
同じ年のシカゴとNYで、ここまでてんでばらばらな動きが観測されていたのだなあ、て。
一方は固い怒りをもって自身の足元を見つめ、一方はごきぶり~♪とか、ほぅり~♪とか歌いながらどんちゃんさわぎしている。 そしてこの、内輪のどんちゃん騒ぎもまた、はっきりとしたひとつの態度表明ではあるの。

どちらがよいとか、正しいとか、そういうことでは勿論なくて、ここでそれぞれに、全く別なかたちで記録されたバスドラのキックは、60年代以降のアメリカのうねりをあらゆる方向から準備し、あらゆるメディウムを用いて伝播していくことになるはずだ。

その最初の一音を、一声を、約50年後に聞いて、見る。

その不思議なかんじ。

とっても勉強になった。 しかしえらくつかれた。

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