11.06.2023

[film] Writing with Fire (2021)

10月22日、日曜日の昼、ユーロスペースで見ました。邦題は『燃えあがる女性記者たち』。

ここのとこ、あちこち行ったり来たりしていて、どこから手を付けたら状態なのだが、とりあえず書けるものから。

インド産のドキュメンタリーフィルムで監督はこれがデビューとなるSushmit GhoshとRintu Thomasの共同。

2001年のサンダンスでAudience AwardやWorld Cinema Documentary部門でSpecial Jury Awardなどを獲り、他の映画祭でもいろいろ受賞している。いまのこんな時代、なぜジャーナリズムとジャーナリストが必要とされるのか、も含めて考えさせられる。必見の内容。

この邦題、これでもよいけど、中心にいる女性記者たちが燃えあがる・燃えている(→炎上)ように見えてしまうのがなんか。それもあるけど、男女関係なく、燃える意思と共に書いて出していくべき何かとは何か、っていうテーマだよね。

最初にインドのカースト – その最下層である”Dalit”について、更にそこに女性として生まれ育つというのはどういうことなのか、が示されて、そこで生まれ育った彼女たちが2002年、保守的なUttar Pradeshの州で立ちあがった新聞社 - Khabar Lahariya - 翻訳すると”News Waves”に入って自分たちで取材して記事を書いて発信していく。 発行はデジタルのみ、FacebookとYouTubeのチャネルはあるけど、それだけ。取材道具は記者たちに支給されたスマホ1台でぜんぶ。そんな彼女たちの2018年から2019年頃の活動を追う。

まず紹介されるのが主任記者のMeeraで、14歳で結婚して(させられて)子を産んで、育児をしながら義理の親と夫の理解があったので大学の修士まで行ってこの仕事に入ったのだが、へろへろなんも考えていないふうの夫は彼女の仕事について早くやめちゃえばいいのに、とか言うのだがMeeraは相手にしない。

もうひとりはSuneetaで、山奥の村人を苦しめるマフィアによる違法採掘を現地で取材して、どんなに威嚇されてもカメラを回して動じないの – このドキュメンタリーのカメラも入っているからだろうか、かっこいい。のだが、その裏で年間50人のジャーナリストが殺されているインドの現実も示されたり。

あとは、新聞社内の教育担当でもあるMeeraが傍らについて教えていく新人のShyamkaliで、それまでスマホなんて触ったことないので、文字入力から何から、何をどうしたらよいのかすらわからない、という。

カメラは違法採掘の件や、レイプされて殺されてろくに捜査もされないDalitの女性、ヒンドゥー至上主義が台頭していく地方選挙、などの取材現場と、Meeraの育児 - 子供は学校の授業についていけなくなっている - とか、結婚しないので親からプレスされるSuneetaとか、肝心なとこでなくなるスマホのバッテリーとか、取材する彼女たちの日々の苦労を追ってあっという間で、その成果はYouTubeの閲覧数 - 10 million viewsなど、で示される。この辺、ところどころ痛快だったりするものの、どちらかというとはらはらして気が気でなかったりする。気をつけて危ない目に会わないで、って祈りつつ拳を握る。

インドの現在とそれを取材する女性たち、の間を行ったり来たりする構成はシンプルでわかりやすいのだが、ドキュメンタリーとしては、この新聞社を誰がどうやって立ちあげたのか、とか、どう(会社として)運営しているのか、これからもだいじょうぶなのか? なども含めて描いてほしかったかも。

最後、覚束なかったShyamkaliが自分で堂々と操作できるようになったり、いったん結婚で退社したSuneetaが戻ってきたり明るい要素はあるものの、全体を覆うこの先(社会が、世界は)どうなっていっちゃうんだろう感は滲んできて、でもMeeraのいう、ジャーナリズムは民主主義の根幹だと信じるから、という一言が全体を救うかんじ。ごくあったり前の一言を彼女が言うことでものすごくパワフルなものになるのだが、翻って足下の自分の国のジャーナリズムの後進・後退ぶりってどうにかならないのか、なんでガザであんな酷いことが行われているのに、べたべたと権力とスポンサーに寄り添って幼稚で恥ずかしい芸能ネタやスポーツネタではしゃいでいられるのか - どうせ誰も見ていないとか、いつまで居直ってゴミを量産しているのか、などを思う。爪の垢を煎じて…  っていうのはこういう時に使う。

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