11.09.2023

[film] 左手に気をつけろ (2023)

10月28日、土曜日の昼、東京国際映画祭をやっている角川シネマ有楽町で見ました。英語題は”Keep Your Left Hand Down”。上映後に監督井口奈己によるトーク付き。43分の中編。

この映画祭での上映がワールド・プレミア、だそうで、エグゼクティブ・プロデューサーである金井久美子 & 金井美恵子姉妹が国際映画祭のレッドカーペットを歩いたぞ、ということでおおおっ、となったやつ。

6月の終わりだったか7月の頭だったかの週末、京都の恵文社一乗寺店で行われたこの作品の上映イベントには行けず、でもその前の週にあった『こどもが映画をつくるとき』(2021)と『だれかが歌ってる』(2019)の上映+金井姉妹のトークには行って、ここで今作の前日譚のようなこれらを見れたのはとてもよいことだった、と今にして思った。

はじめに「よーい、スタート」の声がかかって、『こどもが映画をつくるとき』から更に数歩進んだ、子供が掟をつくって統制をかけている社会が示される。コロナのような謎の疫病がまん延するが、子供たちは疫病フリーで、病が左利きによって媒介されることから左利きを取り締まる子供警察が組織されて、子供が左利きを発見すると、四方八方から十手を手にしたガキどもが大量に湧いてきて「御用だ! 御用だ!」 - 英語字幕だと“Police Business!”なのね - って騒ぎたてながら左利きの大人を追い詰めて寄ってたかって縛りあげるとどこかに運んでいってしまう。っていう緩めのディストピアのお話し。子供たちは楽しそうに行進していって、大人たちはうざいな、って思いつつも普段の暮らしをふつーに行っているっぽい。

神戸りん (名古屋愛)が姉を訪ねていったら家にはいなくて、ここのとこ暮らしていた痕跡もないようなのでどうしたんだろう? って探し始める。カフェに行ったりタロットで見てもらうと大切な人と出会うよ、って言われたり、映画館(サッシャ・ギトリ特集がかかっているシネマヴェーラのロビー)に行ったり、学校に行ったり、この辺は『だれかが歌ってる』の変奏のように、あそこでかかっていた鼻歌も聞こえてくるし、誰かをそんなにシリアスに探す、というよりもそのうちどこかで見つかるじゃろ、くらいの温度感で町や原っぱを、いろんな人々の間を抜けていく。

だれも気にとめない、だれを気にする必要もない、しらーっとした世界で主人公の彼女の目だけがまっすぐになにかを見ようとして、その脇を大量の子供たちがひたすらやかましく傍若無人に群れて画面を横切っていく。

かつてどこかにあった「地上にひとつの場所を」ってぶつぶつ言いながらどこかから現れた男が音と光と場所をてんでばらばらにぶつけ合いつつ探したり徘徊したりするゴダールの『右側に気をつけろ』(1987)を思ったり、あるいは『ウィークエンド』のあの殺伐とした原野に鳴るドラムス – と同じような雷神の音を聞いたりしながら、この作品の主人公が最後に見つけたひとつの場所 - 右利きにも十分にやさしい左利きの場所、とは。 「側」ではなく、「利き腕」とはなにを意味するものなのか?

政治的な立ち位置としての右左「側」とか「寄り」の話がまるで利き腕のそれであるかのように理不尽に幅をきかせている - 右利きあたりまえ - の気持ちわるく覆って圧してくる空気に対する市街戦であり空中戦であり、ふざけんなばーか、という子供達によるアナーキーな異議申し立てでもある。恋愛メルヘンなんかではない。

中編だからってあまりに散文調で纏まりがないし、主人公の世界と子供の世界はあまり交わらないし、おならみたいに唐突な電子音も耳にくるし… など「子供」に顔をしかめる「大人」からの賛否は(きっとぜったい)あるのだろうが、でもそれこそが思う壺、これはこれである世界とかその輪郭くらいを作っていることは確かで、文句を言うやつらは子供警察に引っ立てられてしまえ、くらいのことは思った。

ESGみたいにぶっとい女性バンドが出てくるのだが、喜多見にある熊鍋のお店のひとがベースを弾いていた…

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