11.19.2023

[film] 無間道 (2002) - Infernal Affairs

11月11日、土曜日の夕方にシネマート新宿で1を、12日日曜日の昼に109シネマズプレミアム新宿で2を、14日、火曜日の晩、グランドシネマサンシャイン池袋で3を見ました。

このシリーズが公開されて話題になっていた頃はアメリカにいたので見れなくて、リメイクされたMartin Scorseseの”The Departed” (2006)は見たものの、元のをずっと見たかったところで今回の4Kのがきたので。 最初は1だけでよいか、と思っていたのだが、いちおう2も見てみるとやっぱり3も、になって結局。これもまた無間道か、って。

監督はAndrew LauとAlan Makの共同。どの作品も冒頭に仏教における「無間道」とは.. はまったら絶え間なく続く苦しみを抱えて彷徨うことになる地獄である云々、という説明書きがでる。映画はそんな地獄を壊す話しでもそこから抜ける話でもなく、そこがどんな場所でそこにはどんな責め苦があるのか、を宗教や信仰を脇に置いて、淡々と綴る。そしてこの地獄は死んだ者をとりこむのではなく、生きている者の前に現れて包みこんで動けなくして、そこには善玉も悪玉もないのだ、と。


インファナル・アフェア (2002)

ギャングのサム(Eric Tsang)の使いとして警察の中核に潜入することに成功したラウ(Andy Lau - 若い頃はEdison Chen)とウォン警視(Anthony Wong)に認められた部下としてサムの組織に潜りこんで頭角を現すヤン(Tony Leung - 若い頃はShawn Yue)がいて、それぞれが切れ者で互いの組織の動勢や内情を漏らしたり検知したりすればするほど両者の軋轢は高まって熱くなって、ラウもヤンも互いの組織にモグラがいることはわかっていて、抗争の激化とともにウォンが殺されサムも殺されて、これは直接ぶつかるしかない - 「明日が過ぎれば無事だ」って。 どうなるの? ってきりきりしていると .. なるほどなー。 しかしエレベーターのとこって、”The Departed”もそうだったのを思い出したが、あの映画、そこ以外は一切憶えていないわ…

ふたつの対抗勢力の抗争劇を、モグラがこう動いたからこうなって/なった、ではなく、コトが起こっている現場の焦りや戸惑いも込みでライブで右左のツー・トンで繋いで、だからすべてが唐突に、突然に起こって取り戻せない、取り返せない、そういう時間のなかにある。


インファナル・アフェア 無間序曲 (2003)

1のコトが起こる前、1991年から97年までの香港でそれぞれの「活動」を始める前の、若いラウ(Edison Chen)とヤン(Shawn Yue)には何があったのか、彼らはどうしてそうなっていったのか、を描く。

やくざの大ボスのクワン(Joe Cheung)がサムの妻マリー(Carina Lau)の指示でラウによって殺されて、その手下のビッグ4も次々と殺されていくなか、彼の息子でそれまで静かなカタギだったハウ(Francis Ng)と、騒動を遠巻きでみていたサムはどう動くのか。

クワンの私生児でハウの異母弟であることが明らかになったヤンはその出自故に警察学校を退学になるのだが、ウォン警視は彼に最後のチャンスを与えようとモグラになるオファーをし、サムの方はラウを警察に送り込んでマリーの仇を討たせようとする。 そして誰にとってもうっとおしい目の上のコブになってきたハウを誰がどうするのか。

「序曲」と呼ばれているものの、その先を知っている我々にとっては既にすべては用意されていたのだ、としか思えない静けさ。こうなることをぜんぶわかっていたハウと、死ぬことを屁とも思っていないサムが周囲の苦悩を勝手にかき混ぜて放置するものだからどうしようもない。答えをもっていそうな連中がすべていなくなってしまっているという…


インファナル・アフェアIII 終極無間 (2003)

1のコトが起こる少し前とその後に何が起こっていたのか、シロかクロかの審議の後、10ヶ月後に内務調査課(Infernal Affairs Dept.)に戻ったラウは強権的な動きを見せて平然としている保安部のヨン(Leon Lai)に疑いの目を向けて彼の動きを調べ始めるのと、並行してヤンがセラピーにかかっていた精神科医リー(Kelly Chen)に近づいて病んでいたというヤンの様子を探ってみるのだが、ただ寝てたらしい… って。

そしてサムと本土の大物シェン(Chen Daoming)の闇取り引きに絡んで刺さっていたヨンとヤンの動きと証拠のテープを、と思ったらそれは。

「運命は人を変えるが人は運命を変えられない」って地獄の地獄たる由縁を漬物石として上から落っことす。「..でも彼らは変えたのだ」って、連中死人だから…. この辺は厚塗りがすぎて却っておかしかったり。

『恋する惑星』 (1994)の警官663のあれもセラピーの一種だったのではないか、なんて見てしまったり。


3部作全体の構成そのものが「無間道」としか言いようのないぶ厚さと抜け道と救いようのなさで固められていて、逃げようがなくてぐったり、だったのだが、でもおもしろかった。 Johnnie To作品をずいぶん見ていないので、久々に見たくなったかも。

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