11.08.2022

[film] After Yang (2021)

10月23日、日曜日の午前、Tohoシネマズ日比谷のシャンテで見ました。

これの翌日に『エドワード・ヤンの恋愛時代』を見たので、この後に見ておけば本当に”After Yang”になったのにな、とか。(”After Edward Yang” - で主題として繋がらないこともないかも)

“Columbus” (2017)がとてもよいと思ったKogonada監督のA24制作による新作。近未来SFである、と。原作はAlexander Weinsteinによる短編"Saying Goodbye to Yang"(未読)、テーマ音楽は坂本龍一。

Jake (Colin Farrell)とKyra (Jodie Turner-Smith)の共働き夫婦には養子の一人娘Mika (Malea Emma Tjandrawidjaja)と彼女の養育・ケア用に買ったロボットのYang (Justin H Min)がいて、4人家族として幸せに暮らしていたのだが、家族みんなで参加したオンラインのダンスバトルの後にYangは突然動かなくなってしまう。

機械の故障停止のようなので、ふつうであれば分解して返品交換破棄なのだが、Mikaが悲しんでまた会いたいっていうので、できればYangをそのままの状態で再起動できないか、とJakeはYangの履歴などを探り始めて、製造元の保証はあるものの新品ではない中古として購入したので修理できる範囲には限界があるし、そのままだと腐蝕が始まってしまうよ、となったところで、Yangにスパイウェアに使われるカメラが埋め込まれていること、これがそのままメモリバンクに繋がっていることがわかって、ここに収められたデータや映像を見ていけばなんかわかるかも、になる。

もうひとつ、Yangが動かなくなった後に窓越しに彼の様子を見にきた若い女性がいて、彼女はAda (Haley Lu Richardson)というクローンであることがわかって、Jakeたち家族の前の持ち主に関係があって、Yangの映像のなかに彼女が紛れていることがわかってきて。

Yangが動かなくなってしまった原因をYangの内部の機構とかバグなんかではなく、彼がこれまでに見てきた情報とか記憶(自分たちとかMikaとのこととか)にあるのでは、という推測にまっすぐ行ったのが興味深くて、そこにJakeがはまって、Kyraが少し呆れながら見ている。ずっと自分たちの傍で自分たちの行動を見ていたロボットに、自分たちのなにが記録されているのか、その記録(活動)が原因で停止したのであれば、その理由はなんなのか絶対に知りたい、になるし、そのロボットあるいは製造元が利用者にとって不利益をもたらすなにかを実行していた可能性もないとは言えないし、などなど。そんなColin Farrellの動きから”Minority Report” (2002)での彼を思い出したり。

でも後半、物語は陰謀論に繋がってもおかしくない記憶の迷宮に立ち入って混沌として … なんてことはなく、メモリバンクから投影された映像を通してYangが見ていたものとは? を巡る少し抽象的な話に入る。

Yangのメモリバンクにあったのは記録された映像でしかなくて、でもそれをバンクに格納したのは誰のどういう意思や意識によるものだったのか? それらの映像がそれを見た人によって記憶や思い出に変わることを意図したものだったのだとしたら、その目的はなに? その記憶っていったい誰のものと言えるのか? それが停止の原因なのだとしたら、これって自殺のようなものといえるのか? などなど。

ひとの生は有限で、時間が来ると途絶えてその記憶もどこかに消えてしまうのに対して、Yang内にあるそれ(記憶と呼べるものなのか)は、Mikaのも、その前のAdaのもずっとある状態を維持して残っていく。Adaが事故で亡くなってもMikaが老いても、Yang=自分が動いている限りは。YangはMikaの成長を見ていくうちにこういう人と機械との間のギャップをはっきり認識するようになって、それが辛く苦しいものである(になる)ことを知って、その辛さを自分が停止することで回避できるのだとしたら - 機械の考えることなんてわかんないけど/機械は辛さをどういうふうに認識するようになるものだろう? 等。

こうして最後、Yangのメモリ上の映像は博物館に展示されることになる … というのはちょっとつまんないオチだったかも。別媒体に移そうとした途端に自爆装置が働いて… とかの方がまだ。それか、Mikaは人間ではないYang以上に精巧に作られたロボットで、彼女が自走できるようになったのを見届けて停止した、とか、プラットフォーム上にアップされた複数の、大量の映像を管理するAIが同様に暴走したり停止したり、やがて内紛を起こすようになる、とか。

できればもう一回見て確認してみたいのだが、“Columbus”で特徴的に描かれていた建造物、というのも同じような役割を担ったりしていなかっただろうか? そしてこれは父親がコーマになる話だった…

人が作りだす奇怪なでっかいものとか精巧なもの、それに相対する人そのものの脆さとか弱さ、その狭間でくよくよしながら生きていくしかない、って変だけどそういうありように対するやさしさはあってよいもの、とか。(力こぶ握られるよりぜんぜんよい)

あと、YangもMikaも中国系である、ということの意味も(たぶん)ある。Kogonadaは十分に意識しているはず。

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