11.23.2022

[film] 愛の世界 山猫とみの話 (1943)

11月17日、木曜日の晩、国立映画アーカイブの『東宝の90年 モダンと革新の映画史(2)』更に企画展示との連動小特集 – 「脚本家 黒澤明」で見ました。

監督は青柳信雄、原作は坪田譲治・佐藤春夫・富澤有為男でこれを如月敏、黒川慎(黒澤明)が脚色、特殊撮影が円谷英二、演出助手に市川崑。

猫の話なら絶対みるので山猫の話かと思ってチケット取ったら違った(山猫と「み」の話だったらよかったのにな)..

冒頭のナレーションで、「すべての子供は国のもの」「子供を守ることは国を守ることだ」のようなことを堂々と言われるのでそれだけでげろげろ、って逃げたくなる。

曲馬団で雑巾のように虐待されていたところを少女たちの更生施設に連れてこられた16歳のとみ(高峰秀子)は少女たちの間に入っても一切喋らず馴染めなくて虐められてばかりで、施設の所長(菅井一郎)さんもとみを連れてきた山田先生(里見藍子)も心配して見守るのだがとみは一方的に虐められてばかりで、そのうち彼女を庇おうとした山田先生を攻撃した生徒をぶんなぐったとみは山の方に走り去って消えてしまう。ここまでが前半。

山のなかでたったひとりで過ごす一晩の孤独と恐怖が円谷英二の特撮でたっぷり描かれたあと、翌日お腹が減って彷徨っているときに見つけた山小屋のような家の中にあったお粥をたまらずかっこんでいるとそこに住んでいるらしい勘一(小高つとむ)と幹二(加藤清司)の兄弟に見つかって、彼らの父の松次郎(新藤英太郎)が熊撃ちに行ったまま戻ってこないというので、固まって暮すことにして、ご飯を作って食べて、襲ってくる嵐の晩 - 特撮再び - には3人一緒に耐えたり、ここで初めてとみが喋る声を聞く。

でもそのうち家に蓄えておいた米もなくなったので、とみは人里に出て民家から食べ物を盗んで持ち去るようになり、その姿を目撃した村人から「山猫」って呼ばれて噂になってくると、山田先生はそれがとみのことではないか、って気になりはじめて、そのうち松次郎がひょっこり山から戻ってくると(なにやってたんだよおまえ)子供たちをケアして守ってくれたとみのことを村人たちと一緒に銃を持って追いかけ始めて(ほんとさあーなにしてんの? ひどすぎ)、走っていくとみに発砲したりして、とみの運命やいかに…

作りようによっては『冬の旅』にできたかもしれない、無頼の目をもつ高峰秀子の疾走はFlorence Pughのと同じくらいすばらしい。

プログラムの説明には『敬愛するドストエフスキーの『虐げられた人びと』の影響』とか書いてあるのだがほんとかよー、しかない。虐げる人びとの気持ち悪さしか見えてこないわ。

子供たちに「おまえはおれのもの」って宣言した上で隅に追いやったり放置したり虐待したり追いかけたりやりたい放題やって、指摘されたら頭ぽりぽりして「ごめんー」だけとか、こんなののタイトルが『愛の世界』ってどういうこと? (西海岸だとこれが”Don't Worry Darling”になるのか) こんなのもろDVの論理に原理だし、それが変わらないままずっとふんぞり返っているにっぽん。


11月1日に同じ特集で同じ年の『ハナ子さん』(1943)を - 監督がマキノ正博でミュージカル仕立てだというので - 見たのだが、これはコメディだったけどやはりきつかった。産めよ殖やせよ〜 隣組でがんばろう〜 のりきろう〜 のなにがきついかって、こんな朗らかな笑顔でふるまう共同体から送り出された兵隊がそういうのを背負って平気で殺し合いをやってしまえること、殺せば同じ笑顔で讃えられること。 そしてこちらの方も反省はまったくなく、沸き出しても隠蔽したり改竄したり変わるつもりなんて一ミリもない。日本サッカー協会の会長の発言とかだって、自分でもどこが問題なのかおそらくちっともわかってないグロさ。こーんなに気持ちわるい大会ないわ。


こないだのKeith Leveneから一ヶ月もたたないのにWilko Johnsonまで逝ってしまった..  RIP.

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