10.17.2021

[film] Wrath of Man (2021)

10月14日、木曜日の晩、バルト9で見ました。邦題は『キャッシュトラック』。

仏映画 - “Le convoyeur” (2004) - 邦題『ブルー・レクイエム』のハリウッド・リメイクで、こっちの英語題が“Cash Truck” だったりする。
“The Grapes of Wrath” (1940)が『怒りの葡萄』なので、”Wrath of Man”は『人の怒り』?

監督は、Guy Ritchieで、元々ぜんぜん好きなタイプではないし、前作の”The Gentlemen” (2019)も雑多すぎて微妙だったのだが、これはよかったかも。不気味に不機嫌で暗くて、なにかを相当に抑えこんで丁寧に作っているような印象。

冒頭、日中のLAで現金輸送車が襲われるシーンがあって、でもこれは起こりました警備員2名が亡くなりました、程度の描写で、その後、現金輸送車警備を専門にしている会社Forticoに、Patrich Hill (Jason Statham)という男が中途で入ってくる。前に勤めていた欧州の警備会社が倒産したから、という理由で、経歴も申し分ないし体力や射撃のテストもクリアして”H”というニックネームで同僚には紹介されて実務につくことになる。同社では勤務中に社員が亡くなったばかりなので彼を気遣ったり野郎社会の歓迎ジョークで揶揄ったりするものの、彼は無愛想であまり気にしていないよう。

そのうち、Hの乗った車が勤務中に襲われる事件が起きて同僚のJosh Hartnettがビビっている間にHが相手を全部片付けちゃったり、別の場所で襲われたとき(どんだけ襲われてんねん)には、彼がマスクをおろして顔を見せたら犯人たちが泡食って逃げてしまう、ということが起こって、会社側も見ている我々もいったいこいつは何者なの? になっていく。ここまでで気がつくのは、社員が退勤時にIDを戻しておくパネルをじっと見ていたりすること、とか、Hの勤務中に起きた襲撃事件の後に彼の聴取をしたFBI側の態度と反応とか。

Hがあまりに無愛想で静かで喋らないのでここからどう展開していくのか、と思い始めると物語はそこから5ヶ月前に遡って、Hと息子のある日の出来事が描かれ、細かに時間を前後しながらHの現在の動きを説明するところまできて、そこからゆっくりと襲撃者側の狙う最後の大仕事に潜りこんでいく。

中盤以降はあまり書きませんけど、復讐に取り憑かれた男がたったひとりで復讐していく話で、でもそこに恨みを晴らす気持ちよさはあまりないし、いつものJason Stathamの俺に任せておけの押しの強さも回し蹴りも組み手アクションもスピード感もない。銃と接近戦の絞めとナイフくらいで、あとは彼の目 - おまえのことは絶対忘れないから覚えとけ - という深い穴 - 絶望的に暗い目しかない。

それが警備会社の警備員たち(女性ひとり、あとは男性のみ)との日々の野卑で笑えないやりとりと、襲撃者側のひとりひとり(元軍人)のこれまた爛れて腐った世界観と、ほんの少ししか出てこないけどどうにも動きようがない警察機構(Andy Garciaとかがいる)との間に絡まってLAのだだっ広い土地にぽつんと置かれている。敵も味方もない、善も悪も知ったことか、の世界に。 こういう設定なのでこれまでGuy Ritchieが得意としてきたような悪党がきびきび動いていくネットワークなんてどうにも効いてこない(これがよかったのかしら)。

これってClint Eastwoodが描いてきたような決してヒーローなんかありえない/現れない荒野の話で、Jason Stathamの空虚で孤独な目も彼の映画でよく見ることができたそれで、そうすると、たちの悪い悪党のScott Eastwoodを最後に迎え撃つのが44マグナムを持っていたあの男であってくれたら(おもしろいよな)、とかつい。

ああこれをTony ScottやMichael Mannが撮ってくれたらどんなにかー って少しだけ。ぜんぜん悪くはないんだけどなんか。


復讐といえば選挙の季節がやってきた。ひとりひとつの石つぶてを持って投票に行くのは当然として、映画でも音楽でも演劇でも食堂でもこの一年半、ろくな補償もされずに苦しまされてきた、それどころか数十年に渡って人権を蔑ろにされてきたみんな、ちゃんと敵 - 自民公明維新 - を見定めて連中の息の根を止めてやろう。今回、特にぜったいに許せないのは海外在住者の投票の機会を狭めたり奪ったりしていることだよ。自分がそうだったらと思うとものすごく悔しい。 メディアもいいかげんくそで幼稚な報道やめてほしい。

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