10.21.2021

[film] Sous les toits de Paris (1930)

10月16日、土曜日の昼に新宿武蔵野館で見ました。

突然始まった気がするRené Clairのレトロスペクティヴ - まだ没後40年しか経っていない - 5本だけだけど。 いまの我々に必要なのはDuneでも決闘裁判でも新選組でもなくて(どいつもこいつも長すぎよ!)René Clairなんだわ、って根拠なく思って、でもとにかく見たいんだもの、で見る。邦題は『巴里の屋根の下』、英語題は “Under the Roofs of Paris”。

冒頭、煙突がいっぱい出ている巴里の下町の屋根の上をカメラがゆったり飛びながら移動していって、少し広くなっている小路に人々が集まって合唱している。その真ん中でみんなを指揮して歌っているのがAlbert (Albert Préjean)で、寄ってきたひとに歌詞のプリントを配って売ってお金を稼いだりもしているらしい。そこに来ていてスリに狙われていたPola (Pola Illéry)を助けたあたりから彼女のことが気になって、鍵をなくしたという彼女をAlbertが自分のアパートの屋根裏の部屋に泊めてあげたりして結婚しようか、にもなるのだが、ギャングのFred (Gaston Modot)も彼女を狙っていて、Ablertがはめられて牢屋送りになって、その隙にAlbertの親友のLouis (Edmond T. Gréville)とPolaが仲良くなって..  

このアンサンブルの真ん中にいるのはAlbertなのだが、彼が主人公でPolaとの間で運命の鍵その他あれこれを狙って握ってじたばたするrom-comかというとそんなでもなくて、恋の相手は変わるし巡るしそれがなにか~ ららら~ っていう、そういう歌の世界そのもの - カラオケの背景というより、こんな歌が生まれる瞬間の屋根の下には例えばこんな人たちがこんなふうにお喋りしてお酒のんでキスして喧嘩して、パリって地図上の地点とか地面ていうだけではなく、屋根の下で起こるそんな輪舞の総体を指していて、映画っていうのはそんな屋根の下のよしなしごとを写しとって彩る芸術なのだ、という宣言にもなっている気がした。

René Clairの最初のトーキー作品で、明らかにサイレントとして作ったパートはそれとわかるし、まずは歌が人を動かすのを見せようと冒頭の歌のシーンはあったのだろうな、とは思うのだが、サイレント的な動きできびきび動いていくところと喋りがそこに乗っかろうとしてがんばる、けどまず手が出ちゃったりとか、そのぎくしゃくした追いかけっこをするおもしろさって、Wes Andersonかも、って。

知っていた人にはとっくに、かも知れないがWes Anderson映画のデパートのディスプレイ・ウィンドウのように世界をこまこま形成する – そこに生きた世界をまるごと移植するような見せかたの元祖って、René Clairとかこの時代のフランス映画あたりなのではないか、とか。

最後の方の建物のなかの乱闘のぼかすか吹き出しの煙が見えるような楽しさ – 楽しんじゃいけないけど – なんて、彼のストップ・モーションのアニメのようだし、また明日があるさ、ってとりあえず言っちゃう不屈で少し歪んだ主人公たちの心意気なんかも。


Le Million (1931)

16日の午後、『巴里の屋根の下』に続けて見ました。
制作順も『巴里の..』の次。英語題は”The Million”。邦題は『百万両』、でよかったのにな。
『巴里の..』はRené Clairによる作/脚本だったが、これは舞台劇を脚色したもの。

これは『巴里の..』よりも断然、ものすごくおもしろいと思った。夜中、やはり巴里の屋根の上から建物のなかで華々しくどんちゃん騒ぎをしている連中を覗きこんで、「なにがあったんだい?」って聞くと、実はね.. って時間を朝に戻して物語がはじまる。朝から晩までのある一日のー。

借金にまみれた絵描きのMichel (René Lefèvre)がいて、おなじアパートにバレリーナで婚約者のBeatrice (Annabella)も暮らしているのだが、頻繁にいろんな取り立てが来るし、絵のモデルと彼の関係もなんか怪しいし、もうこの人とはだめか、の空気になってきたところでMichelの親友Prosper (Jean-Louis Allibert)が宝くじに当たったかも! って駆け込んできて、でもその宝くじ現物はMichelの上着のポケットにあるはずで、でもその上着はMichelがいないとき、警察に追われて逃げこんできたスリのチューリップお爺さん (Paul Ollivier)を匿ったBeatriceのところから彼が持っていっちゃったので、ふたり(+ Prosper)で大慌てでコートを追っかけるスラップスティックになって、借金取り立ての連中はこいつあめでてえ、ってお祭りの準備を始めるし、さすらいのボロ上着はオペラ歌手の舞台衣装用に買われて彼の歌うステージにまで行くことになる。

この本番舞台の上で身動きがとれなくなった状態で全身にオペラの花吹雪を浴びることになったふたりの見つめ合う姿がすばらしくよくて、うっとりしながらああやっぱりお金じゃないんだわこの瞬間の愛だわ、ってなるのだが、歌が終わればいやそれでもやっぱりお金もいるよね、ってじたばたを再開するところもよいの。

『巴里の..』で繰り広げられたPolaの取り合いがあちこちに引き摺られてぼろぼろになっていくコートのそれに置き換わったような、そのうち全員がなんのためにこんなことやっているのかよくわかんなくなる落語 - 話し手自身も酔っ払っていくような - になっていって、なんかめでたいようだし、飲めや歌えは楽しいんだから踊っちゃえ楽しんじゃえ。百万だし、って。

この辺の、決してノワールの方に倒れないてきとーなご都合主義みたいなとこ - その後どうなったかなんて誰もしらん - もまたたまんなく好きで、これって全部見たわけではないけど、René Clairのrom-comに通じているやつかも。

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