10.01.2021

[film] MINAMATA (2020)

9月25日、土曜日の昼、シネクイントで見ました。
冒頭、か細く静かな声で歌っている日本人女性のクローズアップ、少しカメラが下に動いて宙を見つめる子供の顔が少しだけ映る。有名な智子ちゃんの写真が撮られようとしているのか撮られたのか、そこだけでいいや、くらいになる。

70年代初めのNYでW. Eugene Smith (Johnny Depp)は破綻して絶望してほぼぶっ壊れていて、Life誌との契約があるので編集部のRobert Hayes (Bill Nighy)からはっぱはかけられるものの、自分でもどうしようもないと思っているし実際にもうどうしようもなくて、機材も売っ払ってしまったところにAileen (Minami)ともうひとりが訪ねてきて、水俣の患者たちの写真を見せる。これらの患者たちは元凶である企業からはもちろん、政府からも見放され孤絶して救われないままだ、あなたの写真でこの惨状を世界に広めてほしい、と言われて最初は渋るものの、決意してRobertに直訴してAileenと共に水俣にやってくる。

ガイジンのEugeneを暖かく迎えてくれる家族もあればカメラを構えると逃げたり手で払ったりする人もいて、ゆっくりと被写体となる患者たちの世界にのめり込んでいくなか、チッソ側(に雇われた連中)の妨害や暴力や焼き討ちをくらって、諦めたり持ち直したり怒りに震えたりしつつ、その感情のうねりが患者たちの蜂起と同調していく過程を描く。

ドラマはあくまで患者たちの世界に向き合うというよりファインダーを通して彼が見た水俣と患者たちの世界、それが写真も人間であることも捨てようとしていた彼をどんなふうに揺り動かして救ったのか、というアメリカ人Eugene SmithとAileenの物語になっている。だからそれは「水俣」ではなく”MINAMATA”で、そこに賛否があるのはとってもよくわかる。ストーリーラインはボスと衝突し過去のトラウマと戦いながら田舎の汚職や犯罪に立ち向かい地元民の協力を得て勝利する典型的なアメリカン・ヒーローのそれをなぞるものだし、実際の出来事と比べても、土本典昭のドキュメンタリーと並べてみれば空気の濃さも人々の密集度もぜんぜん違ったりしているし、でも、いまだに解決に至っていないこの企業が人々や自然に対して引き起こした犯罪をおもてに引っ張りだすのであれば構うもんか、とも思う。ここまで来てもまだプロモーションへの協力を拒む水俣市とか、なにひとつその体質を変えていないではないか、とか。

でも、それでもやはり一番美しいシーンはEugeneが家族の留守に智美ちゃんを託されて、おそるおそる抱き抱えながら海を見るところとか、やがて『入浴する智子と母』として世界に知られることになるふたりを撮影するところだろう。一時期は封印されていた世界で一番美しくて痛ましい母子の肖像写真。あのふたりは毎日ずっとああして向かいあって2人の時間を生きていったのだよね、って。

Eugeneと土本典昭と石牟礼道子がいなかったらここまで水俣が世界に知られることはなかったのかも、について。だからアートは必要だと思うし、アートを粗末にする社会は滅びるし、滅びてしまえ、って思う。 ついでにジャーナリズムはこの時も抗議する民の後ろにくっついてわあわあやっていただけでその腐った提灯持ち体質は今も全く変わっていないので、消えてほしい。特にいまの政治家のケツしか追わない新聞メディアの連中。

エンドロールで延々流れていく世界中の公害絵図を見ると暗澹とするし、進行形の気候変動はこれを上回る規模の災禍をもたらすことになるしもたらしていると思うので企業活動とか、根本から見直さないとほんとしんないから。 Gretaさんが言うように”Brah Brah Brah”だのSDGsだのばっかりのクズなじじい共ってほんと永遠にクズなじじいのままだよね。 ところで、Todd Haynesの”Dark Waters” (2019)って、まだ日本で公開されていないって、なんなの?

Aileenを演じた美波も、ステテコ姿の浅野忠信も真田広之も加瀬亮も國村隼も日本人俳優はみんな素敵なのに、ほぼセルビアで撮られていて、なんでこれが日本映画として撮られなかったのかしら? ってほんとにふつうの疑問が。

坂本龍一の音楽が久々にすばらしくよかったかも。


1年半以上ぶりくらいで週5日連続で会社に通勤して、ほんとに死んだ。こんなの40年も続けたらふつうに脳みそ麻痺してだめになるわ、って改めておもった。

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