9.03.2021

[film] ドライブ・マイ・カー (2021)

8月28日、土曜日の午後、シネクイントで見ました。”Summer of Soul..”に続けて。

村上春樹の短編が原作の濱口竜介監督作品で、カンヌで脚本賞を受賞した、云々。

濱口監督作品は、“THE DEPTHS” (2010)、『なみのおと』(2011)あたりから、『ハッピーアワー』(2015年)も『寝ても覚めても』(2018)も見てきたのだが、村上春樹は前世紀末の『ねじまき鳥…』あたりを最後にほぼ読んでいない。大学の頃、周囲はみんな読んでいたからそれなりに読んだのだが、そこから先はきれいに止まっている状態。他に読むのいっぱいあるし、くらい。

既にすばらしいレビュー記事も監督インタビューも沢山読める状態になっているので、ここでは感想を五月雨で流していく。

舞台演出家で俳優の主人公の家福悠介(西島秀俊)がいて、妻の音(オト)(霧島れいか)がいて、ふたりは薄暗い部屋のなかでセックスをしている。音の上半身が立ちあがっていて、彼女はゆっくりとなにかのお話を語っている。彼女は女優をしていたが今はその話(正確には悠介が纏めた筋)を元にして脚本を書いたりしているらしい。ふたりの間にいた娘は4歳のときに亡くなり、それ以降、音は複数の男性と関係を持つようになって、その最中の姿を偶然目にしてしまった悠介がおろおろし始めたある日、音は自宅で倒れているのを悠介に発見され、そのまま亡くなって - ここまでが序章で、タイトルと音楽が被さる。

広島の演劇イベントでの演出&総合プロデュースを委託された悠介は自分の赤い車(名車らしい)で広島に向かう。長期滞在になるのとホテルから離れたところ(車のなかで音が録音した戯曲のテープを聞くため)に宿をとったので、専属の運転手として渡利みさき(三浦透子)も手配されている。オーディションにはいろんな国からいろんな言葉(含.手話)での申し込みがあり、そこには新進俳優の高槻耕史(岡田将生)も入っている。演目はチェーホフの『ワーニャ伯父さん』で、稽古の様子と行き帰りのみさきとのぽつぽつしたやりとりがあって、ドラマトゥルクのコン・ユンス(ジン・デヨン)の家に招かれたら舞台で手話のソーニャを演じるイ・ユナ(パク・ユリム)がいて、ふたりが夫婦であることがわかってふたりの話を聞いたり、ワーニャ役をあてられた高槻との音をめぐるやりとりとか、いろんなお話が絡み合っていく。

いろんなお話。最初の方には悠介自身が演じる『ゴドーを待ちながら』があったし、音が悠介に語る自身をやつめうなぎだと認識する女子高生の話があるし、テープのなかで朗読され反復される『ワーニャ伯父さん』があるし、稽古のなかで繰り返される『ワーニャ伯父さん』もあるし、イさんとコンさん夫婦にも亡くなった子のお話があるし、音と関係があったことがわかる高槻を経由して語られるやつめうなぎ女子のその後の話があるし、みさきが語る彼女の鬼母の話があるし、その母の別人格「サチ」の話もある。これらの話はどれもゆっくりとした抑揚のないトーンで登場人物の間から発せられてそこにいる彼らのなかに入っていく。いくつかの断片は繰り返されて、いくつかはステージへと。そういういくつもの物語は道となるのか舞台となるのか、その話(語り) – 多くは既にいない人たちが語る -を満たして走り出す赤い車のドライブ。走り出しで葬送のように厳かに包み込んで流れる音楽は石橋英子のユニット「もう死んだ人たち」によるもの。なにかを振り切って走り去ろうとするドライブではなく、誘蛾灯に引き寄せられるように死者も生者もそこに向かう。生と死が分かつことができないなにかがあるどこかに。

村上春樹の多くの小説のイメージって、それなりそこそこの生活をしている男性の主人公が主人公から見たら不思議な謎めいた女性と運命的な出会いをして、性的なところも含めて巻き込まれて気付かされて取り残されて、がーん、って途方に暮れる、というもの(前世紀末時点)で、この映画もざっくり切ってしまえば悠介が音の別の姿を知ってがーん、てなってしょんぼり北に向かう、それだけのー。

(「僕は、正しく傷つくべきだった」← その前に隣の人の傷に気付きたいもんだわ)

(ベケットやチェーホフの演出やワークショップをやってきたような男がこんな程度でがたがたになっちゃうの? っていうのは少しある。 いやあるのだ、っていうドラマなのかも)

いや、もちろんそれだけではなくて、オープニングとエンディングで映しだされるのが女性であるように、過去に傷を受けたり喋れなくなったりそもそも発語できない女性たち(&子供たち)のありようが露わになる – やつめうなぎの件も含めて – そういう女性映画なのだと思った。見終わったあとに『ハッピーアワー』のラストのような感覚が。

登場人物たちの薄皮をぺりぺり剥いでいくような展開なので、俳優の演技については、演技とは、というところも含めて繊細に演出されている。各俳優の演技と発語は、手話の箇所も含めて計算され尽くしていてそこに正確にはまっていく俳優たちがすばらしい。

なかでも高槻役の岡田将生のあの車の中での台詞回しはすごいと思った。彼、おそらく悠介に恋をしていたのではないか。

約3時間という上映時間は全く気にならない。『ハッピーアワー』(5時間17分)と同様。これらの作品て、演技や画面構成に隙がないぶん、登場人物の表情や動きや発言に対して、「なに考えてるのあんた」とか「なんでそんなことを」とか「おいおいそっちかよ」とか、逐次で突っ込みたくなる箇所が次から次へと湧いてくるし、それを可能にしているように思う。誰もが画面に没入しつつ脳内でそれをやるのであっという間に時間が過ぎてしまうのではないか。好きな人同志で好き勝手に喋ってよい鑑賞会とかやったら面白くなるはず。そして、これの元祖が小津や成瀬であることは言うまでもないの。

村上春樹の「やつめうなぎ」って、サリンジャーの「バナナフィッシュ」なのかしらん。

あと、どうでもいいかもだけど、悠介がみさきと会った初めの頃の彼の彼女に対する言葉遣いとか態度ってなんかひどくない? 原作がああなのかもだけど「ありがとう」くらい言うもんじゃないの? とか。


しばらく立ち寄っていなかったが、今月のCriterion Channelのラインナップはすごい。やばい。
 

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