7.30.2021

[film] 明治一代女 (1955)

7月25日、日曜日の昼、シネマヴェーラの成澤昌茂特集で見ました。
原作は川口松太郎(こてこて)、脚本は成澤昌茂と伊藤大輔、監督は伊藤大輔、音楽は伊福部昭(すばらし)。
明治という時代のエートスなんてよくわからないし、そこで「一代女」などと言われてもどうしたものか、なのだがとりあえず見てみよう。

柳橋芸者のお梅(木暮実千代)は若手歌舞伎役者の沢村仙枝(北上弥太朗)とずっと恋仲で、もうじきの彼の三代自仙之助襲名披露公演を前に自分の力でなんとかしてやりたいと思っているのだがお金がなくて、女将お秀(杉村春子)は娘の小吉(藤木の実)の婚姻込みで襲名披露のスポンサーになろうとしているのでとっても歯がゆい。

そんなお梅の様子を横で見ていた箱丁 - 芸者さんの荷物持ち - の巳之吉(田崎潤)は、故郷にある先祖伝来の塩田を売ったりしてお金を工面するのでこの世界から抜けて一緒に堅気になりましょう – 実はずっとお慕いしておりました、って。その申し出をお梅は受けて、純な巳之吉は張り切ってお金を作って戻ってくるのだが、他方でお秀や仙枝らに対する意地もあるし、仙枝からはこの程度の金額ではねえ.. って言われてがーん、てなる。

こうしていつまでもはっきりした態度を示さないお梅に巳之吉はうその呼び出しをかけて、嵐のなかふたりで向かい合うのだが、お梅はお願いだからもう少しだけ、とかいうので「なんでだよう?」って揉み合いになって、巳之吉が懐に持っていた出刃包丁が..

誰がどうして巳之吉をやったのかは明白だった(出刃はお梅のうちにあったやつだし)のでかわら版まで出てしまうのだが、お梅は姿をくらまして、やがて襲名披露の日がやってくる。

叶わぬ恋に引き摺られてかわいそうなお梅(と巳之吉)- せめてずっと愛してきた男の襲名披露を見届けるまでは.. というあたりが「一代女」の矜持なのだろうが、襲名イベントではしゃぎまくって頭からっぽになってお梅のことなんてどうでもよくなっている仙枝とか、同様に彼に夢中ではしゃぎまくるお秀と小吉を見ているとばからしくなったりしないのお梅? って少し思った。 そんな男に惚れちまったバカなあたし(もまた悪くないだろ)、っていうのは昔からのよくあるテーマだとしても、お縄直前までの弟の動きとかお縄の後のお梅の姿があったとしても、なんか弱い気が。 この弱さはお梅と巳之吉の関係についても言えて、あのままだと巳之吉がたんにうまく使われたストーカーのように見えてしまったりしないか(そうかもだけど)。それがこの時代のこの世界の悲しい脆さなのだ、と言われたらそれまでだけど。

でも、そこをそんなに掘らなければ嵐のなかのお梅と巳之吉のもつれ合い - 殺してやるー、というよりもういつ死んだっていいんだ、ってぐだぐだになる - 取っ組みあいの凄惨さ – そこに被ってくる伊福部昭の音楽 – はすごいし、お梅の家の母(浦辺粂子)と弟(井上大助)のやりとりや彼らの家の造りとか、一瞬の嵐が吹き荒れたあの時代の断面は生々しく切り取られていると思った。

こういうドラマでの木暮実千代の悲劇のヒロインとしての輪郭の強さ、杉村春子の棘、浦辺粂子の柔、そしてがちがちに堅く切ない田崎潤とか、それぞれの俳優も映画のなかにたまらなく生きている。



アストラゼネカが認可されて、早くもあんなのやだ、が巻きおこっているようだが、だーかーらー自治体が決めて接種日時込みで市民ひとりひとりに割り振っていっちゃえばよかったのに。もう悠長にワクチン選んでいられるような状況ではないのに。

しかし日本の頭痛薬はなんでちっとも効かないのか。
 

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