7.08.2021

[film] 丼池 (1963)

7月2日、金曜日の昼、シネマヴェーラの新珠三千代特集で見ました。平日だがこの日のこの回がこの特集での最後なのでしょうがなくて(なにが?)。 すごくおもしろかった。

「どんぶりいけ」だと思っていたら「どぶいけ」だった。中央区の船場地区に位置し、戦後繊維の問屋街として発展した一帯、ということだが大阪をほぼ知らないので、なんとなくニューオーリンズあたりを思い浮かべたり、"The Ladykillers"のイギリスを思い浮かべたり。

冒頭、繊維問屋の安本商店が差し押さえられて店主が頭を抱えるなか債権者が商品に群がって奪いあう地獄が展開されて、その背後にいるのが新手の高利貸室井商事の女社長カツミ(司葉子)で、彼女に運営資金を貸しているボスっぽい平松子(三益愛子)がいて、自分のお店を出したいのでお金貸して、って彼女たちの周りをうろうろするマサ(森光子)がいて、地道に行商をしているタダエ(浪花千栄子)がいる。

問屋の老舗「園忠」の園田忠兵衛(中村鴈治郎)は昔気質の大旦那で「俺の目の黒いうちはぁ」とか偉そうなくせに裏では番頭の定彦(佐田啓二)経由でカツミを紹介して貰ったり、実はその前に松子が大金を貸していたり、更には昔からの馴染みで料亭「たこ梅」を経営するウメ子(新珠三千代)に泣きついていたり、大阪の金貸しがどんなふうに旧来型の商人に集って食い荒らしてぼろぼろにしていくのか、というああ無情の話に、大学出の冷酷ばりばりだけど、元婚約者の定彦とか自身の過去の間で思いきることができずに悩むカツミとか、ブルドーザーのような松子とか、じつはいちばん冷酷非道な女狐のウメ子とか、金のあるほうに節操なくなびくマサとか、本筋の横で騙しあいどつきあう女性たちのドラマが十分な迫力説得力で描かれていて目を離すことができない。最後まで朗らかで一番強そうなのは浪花千栄子だったり。

ここに出てくる5人の女性の設定はそのままに、"Ocean’s Five”みたいなのを作ってくれたらぜったい見たい。

なんとか「園忠」を救うべく新たな集金モデル(宝投資)を編みだしたカツミを松子が横で揺さぶり、その斜め上からウメ子がごっそり持っていく情け容赦ないパワーゲーム(金利とか空売りとか、そういう仕組みはさっぱりわからなくても勝ち負けはなんとなくわかる)はなんか痛快だねえ、って思うし、でもいったいなにがそこまで彼女たちを、とも思うし、借金はしたらいけないねえ、と思うし、こういう描き方をするからいつまでたっても弱者は救われないんだわ、とかも。

これって戦争・抗争映画に近いやつかも、って思うと同時に、彼女たちは間違いなくあそこに生きている、という生々しさもある。 そして彼女たちはなぜ丼池という土地に集まってきたのか。

中村鴈治郎と新珠三千代が出ているので『小早川家の秋』(1961)を、高利貸しの女ということでは『晩菊』 (1954)のことを思ったりもする。みんなそれなりにしぶとく、強い。なんでこんなに強いんだろう、こんなに強くないと生きていけなかったのだろうか。 あと、中村鴈治郎て、乗り越えられるべき遺物、みたいな描かれ方だよね。いいなー。

あの後、カツミと定彦は幸せになれたのだろうか? なんか、あのラストだけ、幸せになったらつまんないな、ってなるくらい清々しく浮いている。あんたさえいなければあたしは天辺に行けたんじゃぼけー、ってぐさーっ、ってやっちゃうとか。



あたまに来ていることは何度でも書く。初めはオリンピックだろうが茨城のフェスだろうが、蓮實先生のいうように、そんなのやりたい奴がやってれば、と思っていた。でも近づくにつれてこちらに「協力を要請」したり「感動を届け」たりちっとも欲しくないものを求めてきて更には緊急事態宣言まで加わって自助だ自粛だとかいうので、それは明らかに違う、いらない、と言う。ものすごくシンプルで、でも切実なことだ。 だって明らかに巻き込まれるリスクがあるし、そのリスクは目に見えて増大しているのだし、巻き込まれたら最悪人が亡くなる。それは自分かもしれないし家族かもしれないし大切な人かもしれない。感染だけじゃない。医療や介護の過負荷やケアレスも起こる。だから嫌だ、巻き込まないで、と言う。 決まったことだから準備進んでいるから、じゃない。 自分らの生死がかかっているのだから最後まで、始まってからでも抵抗する。 安全だ安心だとお題目のように繰り返すのならその根拠を示してほしい。あんなスパコンのカスデータじゃないやつを。 もうメディアにも「ロックミュージシャン」にも呆れ果てた。ひとりでえんえん文句言い続けるから。


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