7.07.2021

[film] The Ladykillers (1955)

いろいろあってしんでた。

6月30日、水曜日の晩、Criterion Channelで見ました。
2020年の10月に4Kでリストアされた際、英国での劇場公開は見ることができず、こないだまでNYのFilm Forumでシアターリリースされて、でもバーチャルではやってくれないので泣いていたら、Criterionの6月末でいなくなるリストに入っていた、ので。

Alexander Mackendrick監督、Michael Balcon制作による英国Ealing Studioの最後の作品。
邦題は『マダムと泥棒』。Coen兄弟による2004年の同名リメイク版は見ていない。

Mrs Wilberforce (Katie Johnson)はKings Crossの駅の近くのトンネルの上にオウムと一緒に慎ましく暮らしていて、よくいる世話好き世間好きでお節介で警察に入り浸ったりしつつ半過去の世界に生きるマダムなのだが、そこに下宿を求めてProfessor Marcus (Alec Guinness)がやってくる。見るからに怪しげなのだが、教授はさらに弦楽五重奏を練習する楽団として怪しげな4人を招き入れて、ひとりひとりが強面でやばいかんじで、練習しているふりをしながら連中は現金強奪を計画して実行して、なんとかうまくいった。

と思ったら、強奪した現金のところになにも考えていないMrs Wilberforceがにこにこ絡んできて紙幣が散らばってしまう面倒なぐだぐだが立ちあがり、これはもう悪いけどマダムを殺すしかないな、っていうところまで行くのだが、気がつけば強盗団のなかでそれぞれが勝手に暴走して殺し合いを始めてしまい、そして...

Kings Crossの時計台が見える通りの突き当り、機関車のトンネルの真上に建つMrs Wilberforceの家、という設定からして何が起こってもおかしくない時間が止まった隠れ里ふうで、終盤は実際に惨劇が繰り広げられるものの、誰かが突然発狂したとか、そういう話ではなくて、ただ誰がみても原因よくわからず - 全員自分の役割期待通りの動きをしているのに - の異様さ不気味さがつきまとう。結果としては実に何も変わらずに冒頭の風景に戻ってしまい、あれって何だったのか、になる。このありようってイギリスそのものではないか、と。世間的にはブラックコメディと言われているが、Ari Asterあたりが映画化したっておかしくないホラーにもなりうるやつかも。

監督のAlexander Mackendrickも脚本のWilliam Roseもアメリカ生まれ(Mackendrickはグラスゴーからの移民の子)で、イギリスに渡って、イギリスの映画を作った彼らのイギリス的なものに対する畏れ(&. ミソジニー少々)とか、Mackendrick自身が本作を沈滞したイギリスのパロディ、と語っているように、イギリスに対する「なんなのこれ?」が驚きや諦めとともに並べられているようで、あれこれ考えさせられる。同様の畏怖は"The Man in the White Suit" (1951)でも感じられて、Alec Guinnessやっぱりすごいわ、というのもある。 

BrexitもCovid19対応における英国政府の対応と国民の反応とかを見ていても、なんか決まってしまったことに対する無垢で一徹な動かしようのなさ、っていう点では似たものを感じて、あんたたちなんでそんなに変わろうとしないの - なんでそれを許して置いておくの、とか。 少なくともあんなふうに死にたくないなー、とか。

でもやっぱりおもしろい。現在進行形のなにかを感じさせて、でもクラシックな絵画みたいな落ち着きもあって、ずっと見ていられる。


緊急事態宣言下で、なんでオリンピックを開催できるのか、これっぽっちもわからない、というのもわかるけど、そもそもあんなゆるゆる効果ゼロの緊急事態宣言でなにをどうしたいのか不明。ほんとに沢山の人たちが亡くなったり苦しんだりしているんだよ? もう軽く一年以上。 この状態で「感動を」とか言っているのは真性のバカか詐欺師だと思う。

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