7.15.2021

[theatre] Medea (2014) - National Theatre Live

7月10日、土曜日の午後、NationalTheatreLiveを上映したTOHOシネマズ日本橋で見ました。3000円払うならしょうもないCM freeにしてほしいわ。

うまく言えないのだが、洋画を見に行ってもしょうもない広告や予告ばかり見せられてうんざりだし名画座で邦画のクラシックを見るのはお茶の間の当たり前すぎるし、NationalTheatreLive的なやつに飢えている。演劇なのか? そうかもしれない。上演前のシアターのざわざわした雰囲気とか照明が消えた瞬間に押し寄せてくる緊張感とか。

エウリピデスのギリシャ悲劇をBen Powerが翻案し、Carrie Cracknellが演出して、ついこの間の4月、Medeaを演じたHelen McCroryさんが亡くなった際も、この作品のことはHarry Potterと並んで多く参照されていた。

コスチュームは男性がスーツを着ていたり現代のそれだが、丸ごと何がなんでも現代、というかんじでもない。舞台の奥の上方はベールをかけられた宮殿になっていて、下の手前が彼女たちが暮らす家、その奥の方には森が広がっている。音楽はGoldfrappのふたり - Alison GoldfrappとWill Gregory – がクラシカルとモダンの間を絶妙に渡っていく。

Jason (Danny Sapani)と恋におちたMedea (Helen McCrory)は彼のために家族を捨て、弟を殺してコリントに渡って彼との間に二人の息子を生んで育てているのだが、Jasonが彼女たちを捨ててコリントの王の娘と結婚するという、その婚礼の晩、子供たちが寝静まった後にひとり残されたMedeaの悲嘆から始まる。

全てを失った絶望の底で復讐に燃えるMedeaがJasonの妻と王をドレスに仕込んだ毒で殺し、更に息子ふたりもナイフで殺してしまう、ストーリーはそれだけのシンプルなものなのだが、Medeaの内面に入り込んでその謎とか闇を掘る、というより、こういう悲惨な母親の子殺しがどうして現代になっても繰り返されているのか、この悲惨が我々にもわかってしまうのか、そちらの方にフォーカスしているような。

Jasonは恰幅のよい、明らかにビジネスの成功者 or 政治家 and よき父として描かれるし、彼女と子供たちに救いの手を差しだすAegeus (Dominic Rowan)も人当たりのよいビジネスマン - 外交官の物腰のよさがあって、でも彼らはその物腰でもって、優しく肩を抱いたりしながらMedeaを地獄の底に叩き落すし、自分のスーツが血で汚されてはじめておろおろ騒ぎだす – こういう絵は誰もがどこかで見たことがあるはず。

冒頭、Medeaのこれまでの事情を語るのはナース (Michaela Coel)だし、宮廷の場面や終盤にはコーラスの女性たちが彼女の近くに現れて近くに立つ。Medeaはひとりではない、泣いているのはあなたはひとりではない、というメッセージは何度も語られてきたし、実際に周りには多くの女性たちがいた – けれどもそれは起こった、台所の壁の向こう側で起こってきたのだ、わかるか? という。 Medeaが最後、子供たちの死体の入った袋ふたつを抱えてひとりでよろよろ去っていくところの救いようのなさ凄まじさ、恐ろしさ。

慟哭にまみれたMedea - Helen McCroryのとてつもない声と嘆き。彼女は正気を失っている、狂っていると言わせるぎりぎりその手前まで、彼女の言葉に嘘はなく、明晰ですらある。だからこそ彼女の突然の、一瞬で起こってしまう殺しは衝撃で、でもその時にはもう手遅れで、この手垢にまみれた手遅れ感、正気と狂気の間の引き裂かれる感覚のなかで何千年も引き摺られてきた「悲劇」とは。 彼女は決して狂女ではないし被害者でもない – 矯正も謝罪も必要ないのだ、なぜなら – という描きかた。


それにしても、”United by Emotion”ときたもんだよ。いちばんだいっ嫌いで気持ち悪いところを突いてくるねえ。これって、海外のひとに理解できるとおもう? “Moving Forward”はプロジェクトがうまくいかないときに、プロマネ側が呪文のように繰りだす - 周りはしらける - だれも聞かない動かない言葉だし。 音楽はどうでもいいけど、渋谷系の中心だった場所が激安スーパーになっているのに正しく呼応しているんだね。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。