11.28.2020

[film] Colectiv (2019)

21日、土曜日の晩、BFI Playerで見ました。

Dogwoofが配給するルーマニアを舞台にしたドキュメンタリー。欧米ほぼ同時公開のようで、そのままポリティカルスリラーになりそうな戦慄の事実がずらずら。いま必見のやつ。 英語題は”Collective”。

2015年10月、ブカレストのライブハウス”Collective”でメタルコアバンド - Goodbye to Gravity(洒落にならん)の演奏が終わったところで天井から火が出ていることが確認されて、バンドがこれは演出ではないぞ、と言った途端、あっという間に燃え広がって逃げまわる観客で大パニックに – このぐしゃぐしゃ地獄の映像も流れて、ものすごく怖いのだが、この後に続く恐怖に比べればー。

27名がその晩に亡くなり、37人が病院に運ばれた後の1ヶ月間で亡くなった。なぜ病院に入って1ヶ月後に? 病院側は受け入れ態勢も医療システムも万全で近隣のドイツ等に支援を求める必要はなし、と表明していたのになんで? ここに疑念をもったスポーツ紙の記者Catalin Tolontanとそのチームが探っていくと、製薬会社から病院に提供されている消毒薬が10%くらい希釈されていることがわかって、これが感染症を引き起こしたのではないか? と報道を連打するのだが、当然バックラッシュ - 病院を脅かして国民を不安に陥れたいのか – とか来るし、閣僚からはラボでの検査結果は問題なかったよ、とか言われてしまう。

ここまでで開始30分くらいなのでこの先どうするんだろ、と思っていると製薬会社から検査ラボや病院側にも金が流れていることが明らかにされて大騒ぎになって、保険庁のトップは辞任して暫定の人に変えられて、この暫定の若いトップが被害者側に立つ結構よい人で調査と改革に乗り出してくれるかな、という辺りで、焦点だった製薬会社のオーナーが突然自動車事故(自殺か他殺か)で亡くなり、取材陣にも脅迫が来たり、いろいろきな臭くなってくる。

この状況に追い打ちをかけるように病院側関係者の方から衝撃映像 - ベッドに横たわる患者の傷口に蛆虫 (?!) – が出てきて、これは相当深刻なのではないか、と更に大きな騒ぎになって..

ライブハウスの火災事故が政権を揺るがしつつ(そう簡単には揺るがないのだが)次々に燃え広がっていく様を生々しく描いて、そのどれも腐りきった事実(+どう見ても悪人顔の病院関係者)がすごいというかひどい。のだが、映画はこの事実そのものをわんわん暴きたてるのではなく、それを闇の向こうから引っ張りだしてくるために頭を抱えたりしながら地道に踏んばるジャーナリスト達、暫定で据えられた保険庁のトップの人、事故後の治療で指の殆どを失い肌を損傷した女性、などにフォーカスしてそれぞれの終わらない事後を追っていく。彼らが直接カメラに向かって語りかける場面はなく(F. Wiseman方式)、車の中や記者会見の場やPCの前で唸ったり沈黙したりする箇所がいっぱい出てくる。結果、あまり喋らない記者のCatalin Tolontanさんを中心とした刑事ドラマを見ているようなかんじになる。

恐らくチャウシェスク政権の頃から引き摺ってきた腐敗とか膿が芋づるで出てきた、というのは簡単だけど、そうやって長いこと固められてきた嘘の連鎖の中に食いこむのは容易ではないだろうな、っていうのと、そうやって暴いたとしても長年その仕組みの中でやってきた人々の意識も含めて変えていくのはもっと難しいよね、っていうのと。前者はジャーナリズムの、後者は政治(選挙)のやることとしてそれなりの普遍性と説得力をもって迫ってくる。というのと、最後に映し出される犠牲者たち - 遺族も含めた – の姿と、彼らを含めたCollectiveが必要なのだと。はっきりと言わないけどそういうことを言おうとしているのだと思った。

あと、その反対側に悪のCollectiveっていうのも当然あって、病院、製薬、保険界隈で絡みあうのが一番厄介で恐ろしい。 こんなふうに見えない病院の奥で人が殺されて消えてしまうから。にっぽんでよくある利権、てやつね。

ジャーナリズムにも政治家にも期待できないししないし、ていうのは簡単だしほぼそうなのかも知れないけど、犠牲者たちに寄り添うことはできるし、我々はもう既に十分犠牲者にされてしまっているのかもしれない、という地点からジャーナリズムはどうあるべきものなのか、って改めて考えてみるよい題材かも。

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