5.09.2018

[film] Laughter in the Dark (1969)

4月22日の日曜日の晩、BFIのWoodfall特集で見ました。

原作はまだ30代のナボコフがロシア語で書いた”Kamera Obskura” (1933)、これをナボコフ自身が英訳したのが”Laughter in the Dark”(1938) で、その際に名前や設定も変えていて、翻訳書はロシア語からの翻訳が『カメラ・オブスクーラ』として光文社文庫からでていて、英語版からの翻訳は『マルゴ』として河出から出ていて、仏語版からの翻訳は『マグダ』として大昔に河出から出ていて、いろいろあってめんどい。

この映画版は英国ではTV放映は30年以上されていなくて、VideoにもDVDにもなっていなくて、めったに見ることができないものだと。 どこのプリントなのか、35mmでの上映だった。

小説の舞台は1930年代のベルリンだったが、映画のほうの舞台となるのは60年代のロンドン、Sir Edward More (Nicol Williamson)は裕福で名声もあるアートディーラーで、妻も娘もいるのに若いMargot (Anna Karina) - 小説では16歳という設定なんだけど … と知り合ってめろめろになり、妻も娘も捨てちゃって、それのバチが当たったのか事故で視力を失い、Margoと一緒に療養のためにスペインの邸宅に移り住むのだが、Margoは自分の恋人Herve (Jean-Claude Drouot)をこっそり連れこんでいて、Moreの目が見えないのをいいことにやりたい放題で、Moreもだんだん変なかんじに気がつき始めて、どうなっちゃうのか。 … まあ破滅しかない。

なんかおかしい、だれかもう一人いるとか人の気配がとか、Moreが言うたびにMargoはなんとか取り繕って、そんなあなたが外を出歩くのは危険だからあたしがぜんぶやるから、と彼をひとりで軟禁状態にしてHerveと浜辺で遊んだりしているわけだが、ひとりだろうが相手がふたりだろうが常に暗闇しか見えないMoreには自分側の闇も相手側が見えない闇もおなじで、つまりぜんぶ真っ暗闇で、そこに浮かびあがってくるのは情念で歪められた彼女がよからぬことを、ていうイメージと、自分を蔑んでいるかのような高笑いと - その笑いは彼女(たち)から来るものなのか自分で発しているものなのか、頭のなかでだんだんにでっかくなっていく。

こんなふうにストーリーはシンプルで、見るべきとこは陽光の下、Moreの傍で好き放題に楽しむMargoとHerveの悦楽とそれに対比されるMoreのがんじがらめの暗闇だと思うのだが、後者は映像にはならず、Moreの表情と挙動 – 苛立つ老いた盲人のそれ – が全てで、つまり、なので、ほんとにシンプルな痴情自滅男の哀れ、のような三文週刊誌ネタみたいのにしかならない。

おそらくナボコフの狙いも、それを60年代ロンドンの社交界に置き換えたTony Richardsonの狙いもそのへんにあったのだろうからこれはこれでよいの … かなあ程度。

ただ、当初Moreを演じる予定だったRichard Burtonから替わったNicol Williamsonの演技はすばらしく繊細でよかった。 Richard Burtonはちがうかも。 Anna Karinaは、ちょっとあまりに普通すぎてなんか。

ロンドンのパーティのシーンで一瞬 David Hockneyが映る(すぐにわかる)。あとそこで演奏しているバンドはEast of Edenだって。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。