4.25.2018

[film] Look Back in Anger (1959)

遡って、5日の木曜日の晩、BFIのWoodfall特集で見ました。

ぜんぜん書けていないけど、この特集は地味に見続けていて、おもしろい – という言い方でよいのかどうなのか、ふたつあって、一つは自分が今、一年ちょっと住んでいる/住んできた英国で感じる英国だねえ、みたいな要素をどこまで見出すことができるのかできないのか、っていうのと、ここで描かれる若者たちの怒りとか鬱憤とかエナジーとかがのちのちのModsやPunksにどうして、どんなふうに流れ込んでいったのか、っていうのと。なかでも特に、まだ階級社会の壁が大きく残っていた時代、それを乗り越えたりぶち壊したりするだけのパワーを十分持てなかった若者たちはどうやってそれらと向きあったりやり過ごしたりしていたのか、その辺を。

これがWoodfall Filmの最初の作品で、Tony Richardsonの最初の長編監督作で、英国の映画としてここから始まったものが相当あるのだろうなと思った。完成度みたいのから程通いラフな日々のスケッチが続いて大事件も大悲劇も勝ちも負けもなくて、日は沈んで夜は明けて、日々は流れていくし路地は繋がっているし線路は続いていくし。

原作はJohn Osborneの同名の戯曲で、Woodfallに舞台作品からの映画化が多いのは、劇場でのそれなりの反応や熱に押されて、ということもあったのだろうか。

Jimmy (Richard Burton)が夜中のJazz Clubでトランペットをがんがんに吹きまくって啖呵きるのが冒頭で、その勢いで威勢よく自分のアパートに朝帰りすると妻のAlison (Mary Ure) は寝ていて、ここに一緒に仕事 - 市場の露店で地味に飴玉とか売ってる – をしているCliff (Gary Raymond)とか、Alisonの友達で女優のHelena (Claire Bloom) とかが絡んで、トランペットを吹きまくるようにはかっこよく動いていかない彼らの日々のこまこました諍いとか同様の仲直りとか諦めとかうんざりとか、これらが延々続いていってどこにも収束しない。 Alisonは妊娠していることがわかり、それが何かの区切りや納めどこをもたらすかのようで、実はどこにも行かないし、行けないし。どうするんだ?

で、なんか苛立つしかなくて、つまりは「怒りをこめて振り返れ」 - 振り返るけど、でも他方ではお茶とかビールとかを飲んだりするしかない – これがKitchen sink realism、てこと?  彼らの親たちも出てくるのだが、彼らは別に怒りをこめて振り返ってはいないようだ。 怒りをこめられる振り返りのレンジて、せいぜい2~3日くらいの気がする。それ過ぎたら忘れて再びお茶とか飲んで、を繰り返している気がする。

でね、なんか暗い、八方塞がりの救いようのない日々を描いたダークな作品(群)のように取られがちだけど、実は楽観的で陽はまた昇るよケセラセラな日々を描いていて、それはそれでよいのではないかしら。 と、先日、”A Taste of Honey” の上映後のQ&AでRita Tushinghamさんも言っていた。
世間でよく言われるような悲惨な現実を描いたものではぜんぜんないのよ、と。

そう。この映画の世界を悲惨で救いようがない、って言うひとは、どの場所に立ってそれを言ってるのか、ってことなんだよ。
この映画を材料に当時の格差とか差別とかについて語ることも可能かもしれないけど、それって違うよね。 この映画が表に出そうとしているのはそこではない。

例えばここのRichard Burtonが放つとてつもない生の臭気 - *Saturday Night and Sunday Morning* (1960)でのAlbert Finneyといいこいつといい - なんでこんなに力強く生きているんだろうな、って。

これこそが”Trainspotting”あたりにまで脈々と流れていく英国の若者 - ていうよりガキの原型で生態で、ありようで、英国音楽の根っこの一部を形作っているあれではないかしら、って。

まだわかんないけど。 そう簡単にわかっちゃうもんでもないと思うし。

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