4.13.2018

[film] Kind Hearts and Coronets (1949)

3日の火曜日の晩、BFIで見ました。 これも英国映画の古いやつ、クラシック。

上映前にBFIでポスターとかをアーカイブしているセクションの人によるイントロがあった。
公開時のオリジナルポスターが出ていて、デザインは James Fitton、コピーには“A Hilarious Study in the Gentle Art of Murder”とある。Ealing Studiosの最良期の1本で、ダークで洒落てておもしろいんだから、って。
タイトルはテニソンの詩 - “Lady Clara Vere de Vere”から取られていて元のラインは、”Kind hearts are more than coronets / And simple faith than Norman blood.”ていうの。

1900年頃の英国、冒頭は監獄で、翌日の絞首刑を待っているLouis Mazzini公爵 (Dennis Price)がいて、自分の生涯を振り返ってメモワールを書きはじめる。

公爵家の生まれだった彼の母はイタリアのオペラ歌手と駆け落ちして、それ故に公爵家では認められず、父が亡くなった後、母は女手ひとつで彼を育てて、貧しい中亡くなって、亡くなる前に親戚のLord Ascoyneに彼の将来を頼むって手紙を送ったのに拒否されて、なのでLouisは呉服屋の丁稚の仕事から始まって苦労して、幼馴染のSibella (Joan Greenwood)まで奪われて散々なの。

こうして彼は公爵家の系図を手に、彼の上位にのさばって彼の先行きを阻んでいる親戚8人を片っ端から殺したり、殺した後で未亡人となったEdith (Valerie Hobson)を自分のものにしたり。
殺される側の8人はぜんぶAlec Guinness – Obi-Wan – がいろんな変装を – 含.女装までして演じていて異様なのだが、明らかに楽しんでいて、それを見るのは楽しい。

ストーリーラインだけだと、歓迎されない結婚故に公爵家から追われて不遇のままに亡くなった母の仇を討つため、謀略と殺人を駆使して成りあがっていくピカレスク・ロマンてかんじなのだけど、Louisの顔はおっとりとぼけた公家顔だし、イタリアンの血が混じっているせいかどこか軽くて、ただの貴族wannabeがお茶飲んだり洋服選んだり庭いじりするみたいに、ばさばさ殺していっちゃうし、公爵一族のどいつもこいつも堅くて愚鈍で家畜みたいに日々なんも考えてないふうで、殺される8役分のAlec Guinnessだって、あんた殺されるためだけに出てきたろ、って突っ込まれるためにいそいそのっそり登場して吹っ飛ばされたりしている。
で、そういう具合なのでLouisが逮捕されてもだれもびっくりしないし、本人もきょとんとしているようで。

英国風ブラックユーモア、というのがこういう場合に使われたりする形容なのだがあんまよくわかんなくて、ブラックをブラックたらしめる(ホワイトな)背景がなくて、ここで描かれている階級構造とか貴族社会の歯車とか挙動とか段々とかいろんなのまるごと、寸分の隙なくきっちりと組み上げられた箱庭のようになっていて、その揺るぎないことったら文句のつけようがない。例えば、Monty Pythonの世界をブラックとは呼ばないのと同じで、あれの、ただただ全員が揃って狂ってておかしいのをへらへら笑っていればよいのと同じようなかんじなの。

ただそういう変てこ世界のありようを眺めたってちっともさっぱりおもしろくもなんともない、ていう人がいるのもわからないでもなくて、でも自分はこいつらなんか変すぎてなにこれ?  と他人の不幸みたいなとこから入り始めたばかりなので、とてもおもしろかった。

ラストのあれは、すぐにおいおいって思ったし、ネタとしてはあまりおもしろくないのだけど、あれもお約束みたいなもんなんだよね。 あーめん。

あと、このエドワード調時代のこれと、Woodfall Filmsが描いている50〜60年代の英国は地続きなのか全く別もんなのか、そんな比較して意味あるのか、とか。

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