4.11.2018

[film] Saturday Night and Sunday Morning (1960)

イースター4連休の最終日、2日の夕方にBFIで見ました。 “Ready Player One”の後に。

BFIの4~5月の特集に” Woodfall: A Revolution in British Cinema” ていうのがあって、はじめはWoodfallって何よ? くらいだったのだが、このページに貼ってある予告みたら行かなきゃ、になった。なるよね。

http://www.bfi.org.uk/woodfall-revolution-british-cinema

そこから見た最初のがこれ。これを書いている時点で4本見たけど、どれもたまんない。
原作はアラン・シリトーの同名小説。Woodfall Filmsの創設者のひとりであるTony RichardsonがProducerとして参加している。

Arthur (Albert Finney)はバイク工場で油にまみれて労働をしていて、仕事が終わると両親のいる家に戻っての日々の繰り返しにうんざりしていて、そういうのがあるので週末はパブに飲みにいって憂さ晴らしして、そこで人妻のBrenda (Rachel Roberts)と落ちあって飲んで踊って寝て、それとは別に若いDoreen (Shirley Anne Field)とも知りあって、彼女のほうは母親がうるさいので深入りできないからなんとなく両方と付きあっている。 やがてBrendaが妊娠したと言ってきたので堕そうとあれこれするのだがだめで、彼女は産むことを決意して、やがてそれは彼女の真面目な夫 – Arthurの工場の同僚 – にも知れて、彼の差し向けた野郎ふたりに路上でぼこぼこにされて、回復してきたところで看病してくれたDoreenと結婚することにして、ふたりで将来の家のこととか話をするのだが、こんなのでいいのかなあ、ってArthurはどんより思っている。 そんな内容なの。

50年代の労働者階級の若者であるArthurが置かれた環境 - 路地とか横丁とか家のなかとかその明るさ暗さ、親とどんなやりとりをしてどうやって仕事に出ていき帰ってきてどんなふうに家に入って寝るのか、狭い路地でがみがみやっている近所のおばさんとかガキとか、そういうのまできちんと捕えているので、彼の鬱屈とかそこから抜け出せない縛りのきつさとか、なので余計に吹き溜まっていく持ってきどころのない怒りとか、ものすごくよくわかって、彼がその先に広がる、とりあえず週次でやってくる土曜の晩から日曜の朝にかけての憂さ晴らしの時間に掛ける思いとかもものすごくよくわかる。どれだけぶん殴られたってぜったい渡すもんか、ってなるよね。 飼い慣らされているって言われようがどうしろってんだ(と更にふつふつとどこにも向けようのない怒りが)。

こっちに来てBFIに通ううち、ここって英国の機関だから当然いろんな英国映画を見る機会が増えて、そうすると昔のを含めた英国の町とか村とかいろんなイメージが地図のように溜まったり繋がったりしていって、とても楽しい。この時代の若者が通過していく英国の景色は(例えば)こないだのMichael Caineのドキュメンタリー”My Generation” (2017) のそれに移っていくのだろうな、とか。 同じかんじはNew Yorkの映画を見るときにも起こって、それがあるので未だに昔のNY映画はつい見てしまったりするねえ。

この時20代前半のAlbert Finneyの生々しく強く生きているかんじときたら。ドキュメンタリーの中の登場人物のように汗かいてて、ぜんぜん演技しているようには見えないの。

あと例えば、ここで彼が抱えている鬱屈と、前世紀末にKevin SmithやRichard Linklaterが描いてきたアメリカの若者たちのそれと、今の日本のリアル若者たちが抱え込んでいる(ように見えてしまう)袋小路とは同じなのかどこがどう違うのか、とか。

調べていて知ったのだが、Woodfall Filmsの最後の作品て”The Hotel New Hampshire” (1984)なのね。
… シネマライズだねえ(じんわり)

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